誰かが来るという脳内設定で部屋の中を片付けてみる/五十嵐大介『魔女』読了/年下の人たちが面白い

Posted at 11/08/09

【誰かが来るという脳内設定で部屋の中を片付けてみる】

昨日。ロンドンから帰ってきた友人が家の近くの用事に来てその際に会うことになり、ひょっとしたらうちに来るかもと思って震災の片付け以来久方ぶりに本気で片づけをした。何しろこの暑さだというのにホットカーペットやガス暖房がまだ出したままになっていたので、そういうものを片付けたりするだけで大変。アマゾンから届いた段ボール箱とか、なんとなくつい置いてあるものを資源ごみ用にまとめたり、時間がない中でばたばたしていたら電話がかかってきて結局その用事をキャンセルしたので横浜で会おうということになって、結局ただ家の中がきれいになっただけなのだけど、気持ちよくなったのでよかった。(笑)なんだかんだいって家の中を雑然とさせたまま暮らしていると精神状態にもよくないのはわかっているのだけど、やはり「人が来る!」というイベントがないと「絶対片付けなきゃ!」という姿勢に転換することは難しいということを再確認した。一度掃除・片づけを始めるとそれは結構簡単に自己目的化するので片づけが楽しくなっていいのだけど、まず初動の巨大なエネルギーを出すのが大変。

捨てなければいけないものとかがたくさんあり、その処理を考えるだけで気が遠くなりそうになるので、結局普段は掃除という方向に動かないのだけど、誰かがくるということになると「とりあえずできる範囲で」きれいにしなければならないので、この「とりあえずできる範囲で」ということがいかに大切かと思った。何か大きなものを捨てるとかはやはりイベント色がある(業者に引き取りに来てもらうとか、考えただけで面倒だ)ので、そういうことは取り敢えず置いておいて、まず人が来ても大丈夫なくらいにきれいにする(まだまだ道半ばだが)ということを繰り返しているうちに動きにくかったことも動いていくという感じなんだよなということを思い出してきた。基本はまめな掃除、片付けなんだよな。きれいに暮らすためには。

で、友達が来るであろう居間とかそういうところに普段ポンと置いてあるものを別の部屋に「取り敢えず」という形で移してみると、案外その場所がそのものの置き場として実はふさわしいんじゃないかと思ったりして、移してみるだけでも発見がある。動かしてみないと気がつかないことって結構あるわけで、誰かが来るという脳内設定で部屋の中を片付けてみるというのも一案として面白いなと思ったのだった。そしてきっと部屋を片付けてみると、誰かを呼びたくなるんだろうと思う。


【五十嵐大介『魔女』読了】

魔女 2 (IKKI COMICS)
五十嵐大介
小学館

3時に横浜で会うことになって片づけを途中で切り上げて出かける。お昼を簡単に出張販売の街頭で売っているお弁当を買ってきて済ませたのだけど、どうも変わった味付けなのか味が変わり始めているのかわからないような味でちょっとそれでも結局平らげたのだけど、今のところ腹具合は大丈夫なので少なくとも危険性はたいしたことなかったようだ。多分ナンプラーの味なんだと思うのだけど、思いがけない味付けがしてあると大丈夫かなというセンサーが働く。一応そのスイッチをオフにして食べてしまったので胃腸がどう反応するのかびくびくだったのだけど。まあ多分セーフ。

急いでいたのでバスに乗ったのだがこれが交差点でずいぶん止まったりちょっと裏目に出て乗ろうと思っていた地下鉄を逃し、待ち合わせに少し遅れる東海道線に乗った。電車の中で五十嵐大介『魔女』下の第4抄「うたぬすびと」を読む。この話好きだな。主人公の女子高生が島へ行く船の中で出会うそばかすの若い女性が、『思いでエマノン』のエマノンを思わせる。ああそうか、エマノン自体がフェリーの中での話しだったからだ。転生とかそういうテーマもエマノンに似ているところがある。学校などでなんとなく会わないものを感じている、いきにくいものを感じている少女が自然の懐に抱かれ、一体化していくというテーマは『海獣の子供』にもあるし、彼自身が繰り返し書きたいテーマなのだろう。最後に彼女は「罰」を受けて、島の自然に還っていく。そしてそれが彼女の本当の幸福なんだろうと感じさせられて、きゅんとしてしまう。集中でも一番リリカルで、私はこういうのが好きだなと思うし、これは短編映画として誰か撮ってくれればぜひ見たいなと思った。

五十嵐の作品は『海獣の子供』、『SARU』、『魔女』と読んだけれども『魔女』が一番好きかな。短編というか中篇というか、1話が100ページほどの4つの作品に、上下それぞれ書き下ろしの10ページ程度の短編がついている。『SARU』の大団円も何度か読み返してしまったけど、100ページくらいがストーリーテリングの魅力と絵の魅力がちょうどマッチして一番彼の作品の力が発揮されるのではないかと思った。『SARU』は最初の設定の説明がかなり長く、星野之宣とかでも時々あるけど設定を読んでいる間に飽きてくるのを少し感じた。『海獣の子供』はストーリー展開の中でリリカルな場面、絵で詩を描いているような場面があるのがいい。ただ、まだ完結していないので評価がしにくい感じがある。それだけ全体のストーリーが重要な作家なんだと思う。


【年下の人たちが面白い】

横浜で友人に会い、イギリスやフランスの土産話を聞く。旅の目的のせいもあるのだけど、なんだか冒険譚みたいになっていて可笑しかった。ストーンヘンジやルルドの泉、モンサンミッシェルやパリのアンヴァリッドのナポレオン霊廟など、すごいところばかり回ってきてずいぶんパワーアップしていて可笑しかった。その人のパートナーも交えて3人でしばらく話した後、パートナーの人は先に帰って話を続け、ルミネの中を一軒一軒のぞいたりビブレまで歩いてそこでも一軒一軒店をのぞいたり、またいろいろなニューエージ系の人たちとであった話をしていてそれも可笑しかった。

そのあと川沿いの上島珈琲店へ行って、オープンテラスでしばらく話し込む。最初は暑かったけどだんだん涼しくなってきて、徐々に月も上り、結構ある意味ルナティックな話になっていっって、結局10時過ぎまで話し込んだ。私の最近の経験とかを話したせいもあるのだけど。特に一致したのは、最近の若い人は面白い人が多いということ。25歳~40歳前くらいの人というのはなかなか知り合う機会がないのだけど知り合ってみるととても面白いね、という話をしていた。自分たちより年上の人たちのことは若いころから吸収しようとしてきたせいもあるから分かりやすいのだけど、自分より年下の人たちの感じ方とか存在のあり方というのはいちいち驚くことが多いし感心させられることが多い。どうしても自分たちが世の中の最後尾について走ってきたイメージがあるのだけど、いつの間にか結構前のほうに押し出されているわけで、後ろから見る景色はまた自分たちがそのころ見ていた景色とは違うし、ああ世界って広いなと思う。

あんまり話し込んで晩御飯を食べそこね、結局地元に戻ってきてからセブンイレブンの弁当を食べた。でも本当は何も食べなくてもエネルギーは充填された感じはしていたのだけど。イメージが活性化されていたんだろう、夜中にいろいろな夢を見たし朝起きてからも浮かんでくるイメージを次々にノートに記していたら楽しかった。

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