心を澄ませて読まないといけないマンガ/セックスの場面を滑稽に描くということ

Posted at 11/07/31

【心を澄ませて読まないといけないマンガ】

昨日は日付が変わるころにようやくブログが書けて、そのあといろいろクールダウンしていたら寝るのが4時前になって、うとうとしていたら寝入りばなに急に地震が来てテレビをつけようと思ったが大体収まったので朝起きてから見ればいいやと思ってそのままにしてまた寝てしまった。起きてテレビを見てみると浜通りで震度5強、4月12日以来の揺れということだからやはりかなり大きかったのだがマグニチュードは6台でそう大きな揺れではなかった。やはりあの3月11日の揺れの尋常でなさが改めてよくわかる。

海獣の子供 1 (IKKI COMIX)
五十嵐大介
小学館

7時台に一度おきたが再度寝て、ちゃんと起きたのは9時半ごろだった。どうも疲れが出ていてあまりいろいろやる気にならない。昨日朝から晩まで仕事をしていたせいだなと思う。ただでさえ日曜日は疲れがどっと出るのだけど。11時ごろローソンへ行ってカルボナーラを買ってきてブランチ。午後早い時間に丸の内に出かけ、丸善で本を探す。まずコミックのコーナーで五十嵐大介『海獣の子供』1~4巻(小学館IKKIコミックス、2007~)を見つけ、まとめ買い。それから三階に上り、『ニッポンの書評』で見た丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(光文社知恵の森文庫、2007)、絲山秋子『ばかもの』(新潮文庫、2010)を買う。朝倉かすみが見つからないので検索機で調べ、二階に下りて朝倉かすみ『ロコモーション』(光文社、2009)を買った。

そのあと4階に上ってジェムストーンをちょっと見て、ギャラリーで昔のアニメの原画展。さべあ・のまさんが書いた原画もあった。一休みしようと思うがどうもカフェに入る気にならず、下に下りて八重洲側に出る。構内はどこも込んでいて入りたいと思うところがなく、八重洲側で鯛焼きを買ってかじり、日本橋の駅に向かって歩いていたらなんとなく引かれたカフェがあってそこでサンドイッチとピーチパイ、カフェラテで昼食に。少し元気が出てコレド日本橋へ行って、パン屋でパンを買ってプレッセで夕食の買い物をして帰宅した。

帰ってきて、ランドリをぱらぱら読んだ後、『海獣の子供』を読み始める。今1巻の138/316ページ。話の骨格はわかってきた。私は、主人公の琉花が部活のハンドボールでシュートを打つ場面が好きだな。せった相手を怪我させて部活参加禁止になって、糸の切れたたこみたいになっている琉花の前に、不思議な人たちが現れる。心を澄ませて読まないといけないようなマンガ。まだこの作品を読む心の準備ができてないなという感じ。

ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内 (知恵の森文庫)
丸谷才一編著
光文社

あとの本も少し読み始めた。『ロンドンで本を読む』。洋書に飢えていた時代のロンドンから届くブックレビューは、きっと干天の慈雨のようなものだったに違いない。今のように本を読むことがある意味見捨てられている時代に、ほんの貴重さをもう一度思い出させてくれるような、そんなエッセイから始まっている。

ばかもの (新潮文庫)
絲山秋子
新潮社

『ばかもの』。まだ書き出ししか読んでない。女を抱くのはいいが、それで虫の感触を思い出すという感覚は、リアルなのかあざといのか。絲山秋子の書きぶりは私は最初はいつもあざとさを感じるのだけど、読んでいるうちにああいいなあという感じがしてくるのが普通。多分今度もそんな感じになるのかな、となんとなく思っている。一度読んだ作家の作品は、ある意味安心感がある。

ロコモーション
朝倉 かすみ
光文社

【セックスの場面を滑稽に描くということ】

それに比べると『ロコモーション』。60年生まれだから私より2歳上だが、ほぼ同世代。いきなりあまり楽しくなさそうなセックスシーンから始まる。そんなことしてて楽しいのかなと思ってしまう。しかしなんというか、セックスの場面というのはどうも滑稽な感じがしてしまうのは本質的にセックスというものが滑稽なのか作者がそういう視点で見ている作品が多いからなのか。万物は見方によってはエロいというのはある種の真実だと思うのだけど、セックスそのものを本当にエロく書くのはポルノ作家の腕の見せ所であろうし、逆に言えば滑稽でもエロくでもなく、美しく書くことだって当然可能なはずだ。

同・級・生 (小学館文庫)
柴門ふみ
小学館

とりあえず思い出したのは柴門ふみの『同・級・生』の場面だけど、あれはわりと好きだったな。別れて何年もたち、久しぶりに会った男と女が昔のことを思い出しながら抱き合う。この人のここはこうなっていて、とかそういうことを思い出し、確認しながら。それはお互いに今つき合っている人がいて、その人と比べているのだということをお互いが分かっている。そしてクライマックスのときに思わず男は女の左手を握る。女は、男が今つき合っている女が左利きなんだな、と思う、というような展開。どうなんだろうな。まあそういうときには私なら、目の前の人に集中するとは思うけど、そういう無意識の習慣というのが出るということはあるかもしれない。そしてそこに過ぎ去った歳月を感じる。戻れない過去と、いなければならない現在の場所。

まあどうしても心理的な描写が中心になるかな。でもドキュメント的な描写だって多分美しくは書けるはずだなと思う。自分が書くならそんなものがいいなと思う。あんまり滑稽に書いていると自分自身がセックスに対してやる気を失ってしまう気がするのだけど、そういう描写をする人はそういうことはないんだろうか。

まあとにかく冒頭の描写を読んだだけでそれぞれいろいろ考えさせられる。いろいろ考えさせる小説もいいし、考えないうちにいつの間にか世界の中に取り込まれてしまう小説もいい。私の好みは多分後者なんだけど、ある意味読み手に心の準備を迫る小説というのも面白いなとは思う。

いろいろあった7月も終わる。

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