被災地で歌われている『アンパンマンのマーチ』のやなせたかしは「幸せな爺さん」というより「自称三流」の「人生の達人」

Posted at 11/05/06

昨日はつかれてしまい、8時に仕事を終えた後、夕食を食べて入浴し、9時半には床に入ってしまった。起きたのは5時前。それでも7時間は寝たことになる。早起きをすると朝の時間にいろいろなことができていい。邪魔も入らないし。

アンパンマンのマーチが被災地で非常な人気を呼んでいる、という話を読んで、実際にYouTubeで聞いたのは数日前。甥姪たちが小さい時、彼らに付き合って『アンパンマン』は見たことがあったので聞き覚えのある曲だったが、何度も聞いた歌詞がものすごく新鮮に響いて驚いた。口ずさんでみると、この曲はかなりよくできている。歌詞は正直言って、最初に聞いたときは何か引っかかりを感じる、ちょっと臭い歌詞だなと思っていたのだけど、震災で日本中がおかしくなっているときにこの歌詞を聞くと、全然違って聞こえてくることに驚いた。

まず最初に、「そうだ嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも」と言われてしまえば、涙がぶわっと出てくる。生きているだけでいい、としみじみ思う瞬間なんて滅多にない。それを日本中で感じる時などなおさら。それを、「生きる喜び」と言うんだ、と名付けられる喜び。

「何のために生まれて何のために生きるのか 答えられないなんてそんなのはいやだ!」というのも、平時にはモラトリアム批判というかわかりゃ苦労しないよみたいな感じに思えたが、生きるために生きるんだなとしみじみ思う。

「今を生きることで熱い心燃える だから君は行くんだ微笑んで」生きるということは心が燃えるということであり、変に気張ることもなく、微笑んで行こう。

「ああアンパンマンやさしい君は 行けみんなの夢まもるため」生きるということは夢と希望を持つことで、「アンパンマン」はそれを守ってくれる。「アンパンマン」は誰だろう。それは君であり、ぼくなんだろう。

まあこれは勝手な解釈だが、そんなふうに思えた。そして、こんな歌詞を2~3歳が主力視聴者(!)であるアニメ番組の主題歌につけたやなせたかしという人にとても興味がわいた。

人生なんて夢だけど
やなせたかし
フレーベル館

そのことをツイッターで書くとやなせ氏の書いた『人生なんて夢だけど』(フレーベル館、2004)という本がよかったというリプライをいただいて読んでみたいと思っていたのだが、amazonで調べると絶版になっているのを知った。それで昨日仕事に行く前に図書館に寄って借りてきたのだ。

他の本も手をつけているので並行して読んでいたのだが、なにしろこのやなせたかしの自伝本は面白い。借りてきた本だから書き込みをするわけにもいかず付箋をつけながら読んでいたのだが、30か所以上になった。私は本が好きなので、誰でも「自分は本が好きだ」あるいは「好きだった」という人にはどうも無条件で共感して人間的にいい人だと思ってしまう傾向があるらしく、やなせがそう書いているのを読んでいっぺんに「そうだよね!」と読むスイッチが入ってしまった。

最初は単純に、「幸せなじいさん」という感じの人だな、いいなと思って読んでいたのだが、読めば読むほどどんどん「これは侮れない」という感じになって来る。何しろ、「こうしたいな」と思ったことが次々実現するし、予期せぬ仕事がどんどん舞い込んでいろんなことができるようになって行く。こんなことってあるんだなあと思うが、まあそれだけ世の中がおおらかで、仕事の方が人間よりずっと多かったという面もあるのだろう。しかし考えたことが次々実現するという感じは、ほとんど『ザ・シークレット』の世界だと思った。

長い間器用貧乏の便利屋みたいな多岐にわたる仕事して、いろんな分野に才能を蕩尽して死んだ平賀源内みたいな感じなのにそれで終わらず、50代60代を過ぎてから驚異的なヒットを飛ばすようになったわけでまさに神業という感じである。

『アンパンマン』というのは実際時代を超越した感じの作品で、『鉄腕アトム』から『宇宙戦艦ヤマト』まで見てきた世代の私にとってはいったいこの作品をアニメ史の中のどこに位置づければいいんだろうという感じだったが、やなせ自身が「手塚治虫以前」の世代(横山隆一とか)に属するマンガ家だということを知ってかなり腑に落ちた。しかしだからと言って昭和の初めならああいうマンガになったかと言うと全然そういうことはないわけで、やなせたかしという時代を超越しうる特異なキャラクターが生み出した特異な作品だと言うしかない。

やなせは自分で自分を「三流」だという。何でも屋で、マンガで代表作と言えるものがないと。また、これだけ売れても「アンパンマン」を知らない、見たこともない人々は世の中のかなりの割合を占めるだろう。アニメの放映は23年目に入るから、3歳のときに見た世代は26歳以下。でもこれでようやく「アンパンマンを見て育った親」が出て二世代目に入ったと言えるだろう。30歳のときに子どもがアンパンマンを見ていたという世代も、これで30歳~53歳になったわけだから、かなり浸透はしただろうけど、子どもがいなければ見る番組ではないし、そういう意味ではマンガやアニメの世界では明らかにやなせはまだアウトサイダーなのだ。

しかし驚くことに今年92歳になる彼は今、日本漫画家協会の理事長を務めている。そして彼にはマンガの単行本が一冊もない!いろいろな意味で常識では測れないが、まあ漫画家という存在自体がアウトサイダー的な存在ではあるわけで、それもまたおもしろいということかもしれない。脱線するが、錚々たるお歴々の中に西原理恵子が参与として加わっているのもなんだか味わい深い。これは同じ高知出身ということでやなせから口説かれたのだろうか。

やなせは自分のことを三流というのだが、この本を読めば読むほど「人生」に関しては「達人」と言うしかないと思ってくる。何でも楽しんでしまう力はすごいし、自分が楽しむだけでなく周りの人も喜ばせてしまう。綺羅星のごとく天才が現れては消えて行く漫画界の中で、「自称」三流のやなせは今もまだ人々を喜ばせ続けている。これはある種の奇跡だという気がしてくる。

そしてこの人が破天荒な、でたらめな楽しみ方を次々見つけて、でも下品に落っこちずにおもしろがれるというのは面白い。彼は奥さんを癌で亡くしているが、三か月と言われた余命を何年も伸ばしたのは里中真智子に紹介された丸山ワクチンのおかげだったという。その縁から里中と仲良くなり、里中と架空結婚式を上げたりしたのだという。すると今度は我も我もとウェディングドレスを着る希望者が現れたのだそうだ。

で、何より可笑しいというか嬉しいのは、「何のために生まれて何のために生きるのか答えられないなんてそんなのはいやだ!」と書いた本人が「何でも屋」として半生を送って来たということだ。人生を楽しみながらも、そのことはやなせ自身にとっていつも心に重くのしかかって来ることだったという。境界を超えた才能を発揮する人は、日本という国では評価されにくい。でもこの人生を楽しむこと、人を喜ばせること、落ち込んでいる人を元気づけること、それは言葉を替えていえば「お腹が空いた人にパンをあげる」ことであり、アンパンマンの哲学に他ならない。やなせのように才能を諸所で発揮してきたわけでもないがいろいろな試行錯誤を繰り返してきた私自身にとってもこのことは福音のように感じられる。一筋の道で生きるだけが人生じゃないんだって。

結局一気に読了した。最近はいい本によく当たってありがたい。ツイッターさまさま、いや紹介してくれる方のおかげである。

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