大澤信亮『神的批評』読了

Posted at 11/04/11

大澤信亮『神的批評』(新潮社、2010)読了。今ブログを検索して確かめてみたら、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』を読了して感想を書いたあと、『切手』をすすめてくださったのと同じ方にこの『神的批評』を勧めていただいて、買ったのが2月21日。カレンダーで数えるとちょうど50日かかっていることになる。その間にはいうまでもなく、3月11日の大地震があった。それまでほぼ20日、それ以後ほぼ30日。同じ本でも、読み方が変わってくるのが自分でも分かる。というより、震災からしばらくは本が読めなかった。ただ不思議なことに、小説などは読みにくくてもこの本は全然読めないということはなかったのだ。それはなぜかというと、もともとこの本が自分自身を振り返りながら読まなければならない種類の本であり、震災に直面して自分がやらなければならなかったのが、まさにこの「自分自身を振り返ること」であったからだろう。

神的批評
大澤信亮
新潮社

この本は宮澤賢治、柄谷行人、柳田國男、北大路魯山人という4人を取り上げている。そして「宮澤論で倫理を、柄谷論で理論を、柳田論で言葉を、魯山人論で美を問う」(「あとがき」より)という作者の目論見を読めば、なぜ私が宮澤賢治と北大路魯山人のところはすらすら読め、柄谷行人と柳田國男のところで難渋したかということも明らかだ。つまり私は、普段から倫理と美について考えるのには慣れているが、理論と言葉について考えるのには慣れていないということに他ならない。それは慣れの問題だけでなく、もともと自分の指向性という問題もある。物語を書こうという人間としては、多分私は言葉に対する感覚が大雑把過ぎるなという反省はいつもある。それは詩とかを書いているといつも思う。詩の言葉であっても、美しさとか面白さとか、つまり美的側面や倫理的側面には敏感だが、論理的側面とか言葉そのものに即した側面とかについてはやはり粗雑なところがあって、それが読む人を苛立たせる面があるのだろうなと思う。つまりこの本は、読むことそれ自体で自分を大きく振り返らせてくれる手強い本だったということになる。この本を読んでいる最中に震災が起こったというのも、ひょっとしたら偶然ではないのかもしれないと思うくらいだ。

実際に読み始めたのが2月24日当たりで、宮澤賢治は26日には読み終わっている。すぐ柄谷行人に入っている。既にその頃からいろいろ考える時期に入っていたのか、28日のブログは「転回」と題してこれからは今までと違う書き方をする、というようなことを書いていることをいま発見した。震災がなくても、自分の方向性は変えなくてはいけないという自覚が生まれてきている。もう違う時代の話しのような気もするが。3月11日当日のブログに、柄谷行人の部分を読了したとあるから、ほぼ震災前に賢治・柄谷を読み、震災後に柳田・魯山人を読んだということになる。しかし震災後はやはり本が手に付かなくて、15日頃からようやく柳田論にかかっている。しかし次に本を開いたのは25日頃になっているし、つぎの言及は4月6日になっている。そしてしばらく読んでも書かないときがあって、柳田を読み終わって魯山人に入ったのは多分8日か9日。魯山人は一気に読んだ感がある。つい先ごろ、今日の9時過ぎに読み終わった。

この本は私にとってなんだったんだろうと思うけれども、ある意味何か話し相手のようなものだったかもしれないと思う。私は火曜から土曜まで実家の長野県で仕事をして、土曜の夜に東京に帰り、火曜の昼にまた長野県に戻っているのだけど、東京に家族はおらず、実家に帰っても母がいるだけで、あとは職場で話をするくらいだ。東京でも実際にあって話をする友達がそんなにいるわけではないので、おしゃべりの私にとっては会話欲というものは常にかなり飢餓状態にある。

もともとブログを書くというのも、そういう他者とのコミュニケーションの一環、なかなか日常では満たされにくい話を語ることと、それにいろいろと突っ込みを入れてもらうことで自分の中の取り留めのなくなっていく思考を現世に押し止めていくような部分もある。表現という以前に、コミュニケーションとしての役割が大きかった。最近ではその部分がツイッターに代わって来ているので、ブログの更新はあまり積極的でなくなってきたし、書く内容も変化はしてきている。文章表現としての役割をより多く持たせようと思っている。

これは先日も書いたけれども、佐々木の本や大澤の本は私が20代30代に読んできたいろいろな本よりも、かなりラジカルにわれわれ人間というものがもともと持ってしまっている宿命的な問題というものに迫っているような気がする。少なくとも、自分自身に問うところが多く、また無駄な脅迫的な自己否定を迫るところもなくて読みやすい。われわれよりも一回り下の世代がこういうものを生み出していることは、素直に喜びたいし、生きているうちにこういう批評にめぐり合えたことはラッキーだったと思う。

この本と会話することによって私は自分が気がつかなかった自分に出合うことが出来たように思うし、また自分が何が得意で何に関心があり、何が苦手で何に関心を持てないかとかがはっきりしてきたように思う。

ただこの4つのどの論文もそうなのだけど、入り口はとても分かりやすいのだが出口に近いところに行くと何を言っているのかよく分からなくなってくる。そこは自分が考えたことがない部分だからかもしれないし、ひょっとすると作者以外誰も分からないことが書いてあるのかもしれない。「はっきり言えば、私は、自分の考えていることが、この地球上では理解されないのかもしれないと思っている。」(あとがき)と作者自身が書いているように。でもこれは大澤の話だけに限ったことではなく、私でさえそういうことを感じることは多い。でもまあそんなものだろうと思うし、そういうどうあっても理解されないようなことを、もしそれが伝える価値のあることなら、いろいろな表現手段を使って読む人の心に届くように書いていくしかないのだと思う。

そういう意味で、この魯山人に関する論文は大澤の努力の跡、工夫の痕が見えていて面白い。ヴァリニャーノと利休の会話というフィクションを使って語ろうとしたこと。佐々木中も小説を書いているが、この小説、根本的に上手いかというとまあ難しいと思うところはある。小林秀雄も初期には小説を書いていたがこれもかなり困った代物で、小林研究の材料にはなっても楽しんで読むというものでもない。作家と批評家はやはり両方の才能を兼ね備えるというのは難しいことで、作曲家でありピアニスト(演奏家)でもあったシューマンが批評家としても偉大であったのは腱鞘炎でピアニスト生命を絶たれてしまったことと無縁ではないだろう。ゲーテのような八面六臂の天才もいるが、やはり批評家と作家はその魂のあり方がどこか違うところがあるような気がする。

こう言ってもいいのかもしれない。創作によって、表現によって到達できるものもあり批評によって到達できるものもある。場合によってはそうやって到達しなければならない何かは、そんなに大きくは違わないのかもしれない。もしそうであるとしたら、最終的に「批評」であれ「創作」であれそれらの形式は手段として昇華されるのかもしれない。そう考えてみると、自分、ないしはsomethingを「批評」しようとする仮定から出発し、自分やsomethingの彼方の「表現」に到達しようとするのが批評家であり、(大澤は「あとがき」冒頭で「自分を問うこと。これが私の批評原理である。」と書いている)自分またはsomethingを「表現」しようという仮定から出発して自分やsomethingの彼方にあるものに対する「批評」に到達しようとするのが作家であるのかもしれない。私なども、何を書きたいのか書き終わってみるまで分からない、ということはよくある。表現し終えて初めて自分の考えを評価、つまり批評できる。逆に批評家は批評を続けていくことで最終的にそれが何かの表現になっているという方向に行くのだろう。

表現というのは私にとって全的な行為、精神だけでなく身体性も含めてすべてが取り組む行為だ。その行き着く先はある種の大きなもので、それは究極的には豊穣な宇宙そのものなんだと思う。その宇宙をいろいろな言葉で切りとればそれが批評になるわけで、私にとっては批評よりも創作、表現の方がそういう宇宙に迫るのに適した行為なんだと思う。しかし切りとった言葉の彼方に宇宙が見えてくるのが批評だろうし、確かに大澤の言葉の彼方には何か大澤にしか描けない宇宙があるような気がする。最後の部分がどうしても理解できないのは、そこに大澤が信じているけど語れない何かがあるからだろう。その語れない何かを語れないままに語っていくのが創作、表現という行為だと思うし、だからこそ私は批評よりも表現、創作のほうに可能性を感じているのだけど、しかし凡百の作家が到達し得ない宇宙を確かに大澤は見ている感じがして、それを見たいような見たくないような、なんだか不思議な感じがする。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday