生きている人間がいる国

Posted at 11/03/17

メメント・モリ。死を思え。

ニューヨークタイムスのHPに載った被災地の写真。遺体の森。瓦礫の中から飛び出した、死んだ腕。

それを見たとき、不思議にさあっと心が静まって行くのを感じた。

生きていることと死んでいることは全然違う。

生きている者と死んでしまった者は全然違ったところにいる。

遺体。死体。屍体。その荘厳さ。死体は「もの」にすぎない。だからこそ荘厳なのだ。この「もの」の中に、かつて生きていた「人間」がいた。人間が宿っていた「もの」、取り返しのつかない尊厳。尊厳という言葉は、生きている人間のための言葉ではなく、死んでしまった人間、その骸(むくろ)のためにある言葉なのだ。

父が亡くなったとき、死の前と後とで変わったこと。人間が居た体から、人間がどこかへ行ってしまった。死体は動かない。ゾンビが奇矯なのは、死体が動くから。動くはずのないものが動くから、生きている人間の特権である「動くこと」が侵犯されてそのレゾン・デートル(存在理由)が侵される感じがするからだろう。

私たちは死んでしまった人たちに恥じない生き方をしなければいけない。死を思え、という言葉を倫理的に表現すればそういうことになる。

人間はみんな、いつか死ぬんだ。死ぬまで一生懸命生きようじゃないか。生きているものが頑張るしかないんだ。

いま日本はどういうところにいるのか。津波の去った後の瓦礫の街。遺体の流れ着いた浜辺。その向こうでは原発が虚しく警報音を発し、炎上している。それは地獄だろうか。いや、現実の日本だ。

日本は決して地獄なんかじゃない。生きている人間がいる国だ。生きている人間が何とかして行くのだ。

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by Luke Peterson

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