子ども時代という聖域/エロ漫画という純粋な世界

Posted at 11/01/25

昨日。昨日は更新が遅かった(日付が変わっていた)ので、だいぶ昨日のブログに書いたけれども、友人たちと話しながらいろいろ考えたこととか、その後帰ってきて考えたこと、朝起きてから考えたことなど、たくさん出てきた。昨日は金平守人『エロ漫の星』上下を一気読みしたら1時半までかかってしまったので、入浴して寝たのは2時を過ぎていた。5時半ごろ一度目覚めて手洗いに行き、7時には起きた。それから布団をたたんだり着替えたりゴミの日なのでゴミをまとめて捨てに行ったり洗濯機を二カマ回したり流しの排水口を掃除していたりしたら8時を過ぎ、モーニングページを書いて昨日買ってきたアッサムの紅茶を一杯飲んでブログを書き始めた。エネルギーはだいぶ回復してきたけれどもまだまだというところもある。少し頭を休める時間を多めにとる必要があるかも知れない。

昨日いろいろ話していて自分の中で思いあたったのが自分の女性との関係の物心ついた頃の原体験なのだが、まあそれは少し恥ずかしいので何かの機会に作品化するか気がつかれないように書こうと思う。しかし、子どもの頃の自分をめぐる状況というのは自分にとっては当たり前でも他の人に話したりあるいは他の人の話と比べたりするとすごく特別だったりするんだなということは思った。人の話を聞いても、恵まれていたんだなと思う人もいればそうでない人もいる。その中で自分の体験が思ったより恵まれていたんだと思ったり思ったより残念だったんだなと思ったりするけれども、ものを書く上ではそういうことがけっこう基盤になっているので、そこの部分を自覚的に見てみることはかなり大事なんだなと思った。そしてそういうことはけっこう気がつきにくい。人の話を聞いてて無自覚だなと思うことはけっこうあるけど、自分の中にも無自覚な世界が沃野のように広がっているんだなということを知って、ある意味あたたかい気持ちになった。そしてそういうことを自覚していくことで人に対する共感とかもまた深めていくことが出来るんだなと思う。

たとえば母は生活の基盤だったし、父は子どものころは書斎で何かやっていて、あるいはなかなか家に帰ってこない、ある意味ちょっと神秘的な存在だった。大人になってみると親の粗というものはいくらでも見えてくるのだけど、子どもの頃のその「父の神秘性」というのは、自分のスーパーエゴの形成においてはかなり重要な役割を果たしているような気がする。

子どもの頃の自分ははしっこいところと没頭するところが共存している子どもで、ある意味自分の意識の中では幼稚園の頃から自立しているところがあったし、その頃から何かに没頭すると他のものが見えないというところもあった。大人の間違いとか平気で指摘する子どもだった。子供のころはそういうのも面白がってもらえるが大きくなるにつれて鼻についてくるもので、自分が他の人と衝突したことの大きな部分はそういうことだったような気がする。そしてまあ、いまだにそういう子どものころに形成されたいろいろな性格や人格というものはそんなに大きくは変わっていないわけで、多分自分が気がつかないうちにあれこれ思われているんだろうなと思う、仕事や日常生活だけでなくこういうブログやらツイッターのつぶやきやらにおいても。そういうことって大事なことなんだと思う。ものを書く上でも、自分の生き方について考える上でも。

子どもの頃の自分というのは、自分にとって自覚していなくても、ある意味聖域なんだと思う。そしてものを書くということは、ある意味その聖域に踏み込むことだから、危険な行為でもある。しかしその危険を冒さなければ、説得力のある、人に読んでもらう価値のあるものを書くことに結びついていかないという部分があることも、また確かなんだろう。

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エロ漫の星 下 (ヤングコミックコミックス)
金平 守人
少年画報社

金平守人『エロ漫の星』上下(少年画報社、2011)読了。まあ正直言って誰にでも勧められるものではないが、「エロ漫画」というジャンルを含めた「表現」とそれを取り巻く出版産業というものに関心を持っている人ならばまず確実に面白いと思う。こういう作品を描く原動力も読む原動力も欲望と妄想であるのだけど、そういう意味ではすべての作品や表現というものも違う種類ではあっても欲望と妄想の産物であると言えなくはない。少々細かいことを書くのにやや抵抗のあることも多いので、(笑)興味のある方は読んでいただけばいいと思う。ただ電車の中で読むのにはあまり向いているとはいえない。

上巻はわりと技術的な面での分析とか指摘が中心なのだけど、下巻は大河ドラマ的に投稿者からアシスタントに、そして一回だけの掲載という無限ループに巻き込まれてから、ついに連載を獲得して頂点を目指す(笑・とどうしてもつけておきたい強い思い(笑)があるが)という成り上がりの、まあ上品な言い方をすれば成長物語になっていて、ラスト近くになると不覚にも感動してしまう。なんていうか、ある意味「純粋」な世界なのだ。エロ漫画を描くうえで必要とされる力は「童貞力」だ、という指摘があるが、それは言葉を変えていえば「純粋」だ、ということになる。まあその純粋さをもっと他のものに使ったらもう少し世のため人のためになるのではないかという気は確かにするのだが、結局感動したりしてしまうのはその「純粋さ」の故なんだろう。たぶん、漫画家という人たちには基本純粋な人たちが多いような気がする。

しかし、それを利用している「悪い大人」も確かにいて、その純粋さを食い物にしてもいるという視点もあるべきだなという気は読み終わってからだんだん出てきた。都条例の問題にしても、「純粋な」描き手と性的被害の対象になりかねない子どもたちとその保護者たちの対立というような構造に還元されているのはやはりどうも変で、その背後にある構造の問題をもう少し指摘する人があってもいい。ツイッターを読んでいるとそういうことに非常に自覚的な人もいるにはいるのだけど、どうしても分かりやすい構造に還元されて行きがちで、実りのある結果が出るのかどうか、考えさせられる。

いや、読むものがたくさんあるのだけど、最近きわどいものが多くてどこでも読めるわけではないというのが少々難点。この本も、結局無理に自宅で読みきった感じだ。しかしまあ、表現というものについていろいろ考えさせられる。

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