『耳をすませば』:日本が豊かだった時代へのノスタルジー/女子の中学生精神、男子の中学生精神

Posted at 10/11/19

なんだか気持が忙しい、のだろうか。やることがたくさんある、のは確かだ。今朝は寝床の中でなんだかいろいろ考えてしまって目覚めがあまりすっきりしなかったが、とりあえずモーニングページを書き、ご飯を食べてからごみを捨てに行って、帰ってきて母と法事当日の進行表をつくる。それをやっていたら11時くらいまでかかってしまい、かなり疲れた。それが終わってから布団を干し、自室に戻って『耳をすませば』を最後まで見た。

耳をすませば [DVD]
近藤喜文監督作品
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

見終わってみると、最初に思った通りだといえばそうなのだけど、予想していたよりはかなり面白かったし、いろいろ思うことがあった。時代のことと、自分自身に関連したことで。

中学生のじゃれあい方は自分たちのころとそんなに変わらないよなあと思う半面、自分の進路のことについてあんなにまっすぐに考えられるというのはすごいなと思った。しかし、岡潔も言っているように、本当に自分の進路を決めるのは14~15歳に興味を持ったことだ、というのは私もそう感じるところがあるので、こうあるべきだったんだなあとは思う。進路は、大人になる前に決めた方がいいんだと思う、本当は。

全体に、すごくノスタルジックな感じがした。それは、「中学生」というある種コアな時代への懐かしさ、後悔、悔恨、恥ずかしさ、そういうものだけでなく、まだ日本が繁栄を謳歌していた、本当はもう崩れ始めていたけどまだ残光が残っていた90年代中ごろという時代に対するノスタルジーをすごく感じたのだ。もっと率直にいえば、「日本が豊かだった時代」へのノスタルジーだ。ヴァイオリン製作者の道を志す中学生男子と、それに刺激されて物語作家を目指す中学生女子。そして、お互いに負けたくない、お荷物になりたくない、力になりたいと思う、「お互いに相手を高め合う恋愛」が語られていた時代。最後に「結婚しよう」、と誓い合うのはまあご愛敬だと思うが、何と言うかまだ日本の未来が自然に明るくなっていく、そういう根拠のない明るさのようなものがすごく懐かしく感じられた。

95年の私はといえば、まあそんなどころではない学校現場の悪戦苦闘の先が見えない時代だったし、まあそんな時にこういう明るい未来を信じよう的な映画は見られなかったなあと思う。宮崎自身が臆面もなく繁栄する日本を肯定しようという映画だと言っていたとどこかに書いてあったが、そういうものが瓦解しつつある2010年から見れば、時代の記念というような意味で意味のある作品だったんじゃないかという気がする。

もう一つ、雫が物語を書くのに熱中し、ものを食べなくなったり自信がなくなったり、他のことに構わなくなっていく過程がすごく人ごとではないと思った。これはやったことのある人でないと分からないが、みんなそうなんだなと思う。書きあげた物語をおじいさんに見せるときに「いまここで読んでほしい」と無理なお願いをするところは、全く自分も同じことをしたことがあるので本当に気持ちはよくわかる。

そのあと、まだ自分の力不足を感じて勉強するために高校に行かなきゃ、というのはまあ無難な線で収まる展開でよかったよかった反社会的にならなくて、というようなものではあったが、きらきら光る石のうち一つだけが本物で、一番光るものを選んで手にしたらほんとうは醜いものだった、みたいな夢とか、すごくその怖さはよくわかる。あれは、きっと原作者の柊あおいが感じていることをそのまま書いたんじゃないかな。いや、原作を読んでみないと分からないけど。それとも近藤喜文が感じたことなんだろうか。そうかもしれないな。

この作品が、若くしてこの世を去った近藤喜文の唯一の監督作品だというのは、ある意味胸に迫るものがある。まだまだやりたかったこと、やりきれなかったことがあっただろうになあと思う。宮崎駿という強烈な個性のもとで勉強にもなっただろうけど思い通りに行かずにストレスをため込んだことも多かったのだろうな。宮崎自身が「彼は私が殺したようなものだ」と言っていたとどこかで読んだけれども。

Very Best of John Denver
Camden International

主題歌は「カントリー・ロード」。冒頭がオリビア・ニュートン・ジョンのカヴァーでおしまいがオリジナルの訳詞。一番売れたのはオリビアだと思うが、私はオリジナルのジョン・デンバーとか田中星児が歌っていた訳のものも印象が強い。田中が歌っていたのは、なんだかわりと暗い歌詞だった気がする。この映画のおしまいの訳詞は、大変力強い。劇中、地球堂でみんなで合奏する場面が、私はこの映画で一番好きだ。まあどの場面も、わりと好きだけどね。ちょっと『魔女の宅急便』と重なる印象もあるけど、私はこういうものを見て来なかったので、今更ながらいいなと思う。福島正実の少年向けのSFは男の子側からの中学生精神みたいなものでよかったのだけど、女の子側からの中学生精神みたいなものも、いいものだなと思う。

ネットで感想などを見てみると、雫のことを中二病だなどと揶揄している記述がかなりあったのだけど、いいじゃないか中二病で、夢見がちで、と思う。その一方で、それだけ夢が持てなくなっている現代という時代をあらわしているのかなあとも思う。

まあ先の見えない時代だからこそ、道は平坦ではなくても、明るく前向きに行きたいものだ。

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by Luke Peterson

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