「気持ちよい散歩」考/サティとパハマン/荻野進介『サバイバル副業術』

Posted at 10/09/14

昨日は朝から二日酔いで午前中は体調を整えるのに苦労した。午後になってブログを書いてから出かける。最初に日本橋に出て、丸善でいくつか本を物色。荻野進介『サバイバル副業術』(ソフトバンク新書、2009)、アントニオ・タブッキ/須賀敦子訳『インド夜想曲』(白水Uブックス、1993)、ポール・オースター/柴田元幸訳『幽霊たち』(新潮文庫、1995)、アンヌ・レエ/村松潔訳『エリック・サティ』(白水Uブックス、2004)の4冊を買う。思わずたくさん買ってしまったが全部文庫・新書だし、先日交換しておいた丸善のお買い物券が3000円分あったのでほとんど出費なし。得したような気分。

友人に少し電話をかけながら銀座まで歩く。いつもは銀座から日本橋に向かって歩くことが多いのだけど、銀座に向かって歩いた方が気持ちがいいということを発見した。賑やかな方に向かって歩くのと静かな方に向かって歩くのと、そのよさは違うといえば違うのだけど、賑やかな方に向かって歩いた方が気持ちが高まっていくから、そういう気持ちを味わいたいならそういう方向の散歩がいい。学生時代はよく渋谷から東急本店の横を通り、松濤から駒場に向かって歩いた。逆に駒場から渋谷まで歩いて出ることも多かったけど、渋谷はどうしてもごちゃごちゃしているから渋谷から出て行くほうが気持ちはよかったな。でも代々木公園の方からなら出るのが公園通りだからそれもまたいいかもしれない。街を歩いて気持ちいいかどうかというのは、歩道の広さとも関係がありそうだ。

銀座で裏通りのショップを冷やかしながら歩くのも気持ちがいい。それから教文館に出て、仲道郁代のピアノの本を買い、山野楽器に行ってウラディミール・パハマンのピアノを探した。ショパンのコーナーにはなくて、ピアニスト別のところに一枚あったので買った。

Essential Vladimir De Pachmann
Vladimir De Pachmann
Arbiter

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お金を払おうとするとポイントが溜まっているということで1000円使った。また何か得をしたような気分。自分が溜めてきたポイントなのだけど、やはり嬉しい感じがする。それから新装成った三越銀座店へ。6階の紳士服を少し見て地下に下り、夕食の買い物。新装三日目の月曜日としては込んでいるのか空いているのか。込んだところが苦手な私でも付き合える程度だったから、そんなに込んではいなかったのだろう。どこか喫茶店に入ろうと考えて歩きながらいろいろ思い出すがこれと言ったところはなく、取り壊しの続く歌舞伎座でも見に行くかと東銀座まで行く。青いシートに覆われて、歌舞伎座はもう影もなかった。歌舞伎座裏の日本茶の店、「鳴神」へ行く。歌舞伎座が閉じているからか、客は私一人で、ゆっくり出来た。香りのいい夏のお茶をお願いし、お茶受けには練り切り。上品な甘さで落ち着く。お茶は四煎も出してもらって十分堪能した。『エリック・サティ』を読む。

エリック・サティ (白水Uブックス)
アンヌ レエ
白水社

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エリック・サティ。19世紀末から20世紀初頭の変わり者の作曲家。読んでいると吸い込まれそうになって来る感じがある。偏屈なジジイ、という感じの生涯。かっこいいと思う。旧弊で厳格な部分と、変わり者で既成の秩序を壊したがるところ。「サティのユーモアも、つまるところ一種の「毛色の変わった因襲」だったのではないだろうか?」という著者の指摘が素敵だと思った。理解されたいという思いと詰まらんやつに理解されてたまるかというアンビバレンツ。こういうタイプ、『神の雫』のロベールなど時々出てくるが、あまりかっこいいと思ったことはないのだけど、サティはかっこいい。やはりそれは、彼の作った曲をこちらが知っているということが大きいのだろうな。あんな曲を作る、こんな偏屈。「オジーヴ」という曲のタイトルについて、著者は「作品のタイトルは印象派風だといえるかもしれない。だが、見かけに騙されてはならない。それが指しているのは、何か一つの雰囲気ではなく、抽象的なものなのである。・・・」オジーヴとは建築用語で、ドームなどの天井で対角線に交差するアーチのことを指すのだという。そういう表現のたくらみというか、一見印象派的な付け方に見えて実は、みたいなのも面白いと思った。22/213ページ。

十分リラックスしてから店を出、マガジンハウスの角を昭和通の方へ歩き、銀座の駅に出て帰宅。やはり銀座は歩いていて本当に気持ちがいい。特に裏通りが。

帰って来たら6時少し前で、相撲を少し見る。先場所は生中継では見られなかったが、やはりこの時間帯に相撲があるというのはいいことだ。見終わってから友人に電話をかける。久しぶりに話しこんだ。がんばってねという感じ。最近は競馬に凝っているという話をしていた。競馬は確かに、ギャンブルの中ではいちばんいい趣味だと思う。馬は嘘をつかないから、買っても負けても気持ちよくやれるし、馬場や血統、展開などやる気になって調べればどこまでも奥が深い。きっと何かプラスになることがあるだろうと思う。私はそれこそそこまで手を出す余裕はないが、話を聞いていていい趣味だなあと思った。

パハマンを聞く。少しwikipediaなどで調べてみたが、なんだかすごい人だ。1848年、まだショパンの生きていたときに生まれ、1869年にデビュー。レコード録音には初期から取り組み、私が買ったのも1907年から27年にかけての録音だ。この時期はまだ録音も原始的で、ラッパ管で拾ってきた音をそのまま電気的な増幅もせずSP盤に刻み付けるという「機械吹き込み」だったという。だからノイズはすごいのだが、しかし聞こえてくる音はまるで別次元というか、別世界のような音だ。野口晴哉がパハマン以降よいと思うショパンがない、というようなことをいっていたがそれはわかる気がする。演奏中にいろいろつぶやいていたというし、またリストがパハマンの演奏を聴いて聴衆に向かって「ショパンの演奏はこんなふうでした」と言ったとか、伝説に彩られている。しかもパハマンは虚言癖で有名で、そのエピソードも嘘か本当かわからない、というところも笑わせる。CDのジャケット写真も横顔はかっこいいが前からみると斜視だったりして、なんかいちいち魅力的だ。

演奏はロマン主義的、芸術至上主義的だと評されているが、確かにノイズに埋もれそうな小さな音で繊細に弾くピアノを聴いていると、大ホールでの演奏を嫌い、サロンでの演奏を好んだというショパンを髣髴させるものがある。リストはともかく、ショパンを聞いたことがある人がパハマンにそう言って、パハマンがそれを自慢にした、ということはあるかもしれないと思う。昔の芸術家というのは実際面白い人たちが多い。

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サバイバル副業術 (ソフトバンク新書)
荻野 進介
ソフトバンククリエイティブ

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荻野進介『サバイバル副業術』。先日、著者ご本人に会っていろいろ話しこんだ。印象批評だけでなく、しっかり読んで感想を書きたいと思い、買って読み始めたのだけど、これは面白い。私のように考えていることが基本現実離れしている人間にとっても、金利生活者でも家賃収入で生きているわけでもない人間にとっては、収入を確保して生活基盤を確立することは極めて大事なことだ。私は給与生活者は10年やって向いてないなあとは思っていたけど、多くの人は私のように独身でもないわけだし背負っていかなければならないものはもっと多いからそれはより切実だろうと思う。しかしかといって副業に二の足を踏む人は多いだろう。なぜそうなのか、を日本の企業社会の構造から明らかにしてその疑問を解いてくれているのが気持ちいい。

もともと副業にはおおらかだった明治日本で、三井財閥の中上川彦次郎が、仕事の出来る職員の給料を倍増させ生活を安定させるとともに副業を禁じたのがその始まりなのだという。企業が社員の生活を丸ごと保障する代わりに職務に専念させる、というトレードオフの思想であるわけだ。しかし現代では逆にその給料を、つまりは生活を企業は保障しない方向へ動いているわけで、その代償として副業を容認する方向へ動いているのは当然のことということになる。

また、著者は副業を収入源というだけでなくより幅広いものとしてとらえていて、生活を充実させるための手段でもあり、また夢を広げるため、実現するための手段として、つまりはよりよく生きるためのステップとしての副業というものを提案している。収入補填という動機ももちろん切実ではあるが、それだけにとどまらない、社会人ならではの自己実現への道として副業を提案しているわけだ。

こうした本は地に足の付いていない、書いたもの勝ちで中身がすかすかなものが多いような気がするが、この本はしっかりと自分自身を含めた多くの経験談を、その経験に本当に著者が共感したんだろうなと思われる筆致で書いていて、読むものを納得させるものがある。

具体的な側面でも、公務員は職務専念義務から法律で副業は禁止されているけれども所属長の判断で著作を出すなど認められる形もあることや、民間企業では服務規程で副業は禁じられていても、裁判所の判断としては不正や怠慢、職場放棄が伴わない限り憲法上の権利として副業を認める傾向にあるというのもなるほどと思った。世の中案外原則は護られているのだ。

現在はまだ84/206ページまでしか読んでいないので途中の評価になるが、そういう指摘も含めて、読む人が希望を持てる内容であるところがとてもいいと思う。社会人になったときに、あるいは社会人として生活するうちに人生のかなりの部分を「諦めた」人は実際多いと思う。しかし、それでも組織人として充実した生き方を後れた時代はよかっただろう。しかし今後、組織が個人を守ってくれない時代に入るのだとしたら、むしろそれを忘れていた人生の可能性を再検討する機会ととらえることだって出来るのではないか。そんなことを考えさせてもらった。続きを読んでの感想は明日以降に。

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というわけで、昨日はとても収穫の多い一日だった。

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