プロの仕事/自分自身に対する繰り言

Posted at 10/09/01

父の遺稿集を出すということで母が原稿をまとめ、父と母の高校時代からの知り合いの印刷屋さんに来てもらい、具体的な話をした。母といくら話していてもどういう本にするのか堂々巡りで全然決まらないのだが、今朝は話していてほとんどすぐに考え方が決まり、話があっという間に進展した。プロと言うのはすごいと思う。こちらのもやもやした考えをあっという間に形にしてくれる。はっきり言葉にできずに考えていたことをすっと提示してくれるので、それならこうしたらどうか、というアイディアがこちらからもすぐ出るのだ。不慣れな仕事は、こちらがプロになれるわけではないけど、プロと話をしながら進めるということはインパクトがある。別の話だが、会計のことも身内でいくら話しても堂々巡りだったことが実務をやっている人を交えて話したらあっという間にすべて腑に落ちたということがあった。定型の決まっている仕事に関しては、プロの仕事の切れ味はすごい、と改めて思った。逆に言えば、素人がいくら理屈で考えても分からないことが実務の仕事にはあるということだ。大きな組織でやっているときは分からないことはすべて専門の人に任せて終わり、で済んでいたが、家内経営みたいな仕事のやり方だと自分たちでできそうなことはなるべく自分たちで済ませる習慣になるのであまりそういう仕事に触れる機会が多くなくなるのだけど、久々に専門家の力というものを感じた。そういうものをいかに生かしていくかということは、生きる上でもその仕事を充実させる上でも大きな要素だと思った。

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古楽とは何か―言語としての音楽
ニコラウス アーノンクール
音楽之友社

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アーノンクール『古楽とは何か』に書かれていることについていろいろ考える。アーノンクールの主張のひとつは、19世紀ロマン主義以来、というか「フランス革命以来」という言い方をしているが、音楽は「感性の領域」のもの、という考え方が主流になったということで、逆に言えば18世紀以前は音楽(そのほかの芸術もそうだろう)は「知性の領域」のものであったということになる。たとえて言えば――以下は私の勝手な解釈だが――音楽は「感性の牢獄」とでもいうべきところに幽閉されてしまって、美しく装飾的であることのみを強要されることになった、ということになろう。知性と感性とをどちらが人間性の本体により近いものか、という日本的な考え方では感性の方が近いということになりそうだがヨーロッパ的な考え方では知性の方がより近いということになる、という感触があった。これは多分文明的な特色なのだと思うが、日本では知に対してより感性に対して、ヨーロッパでは感性に対してより知に対して、より敬意が払われているように思う。

以下は自分自身に対する繰り言。まあ詳細は省くが、私は知の方が勝るタイプの人間だと思うけど、90年代後半以後、「知」というものが信じられなくなってしまったところがあって、一方的に感性に憧れるようなところがあったのだなあと昨日考えていて思ったのだった。自分が90年代に何かを損なった感じがしていて、それは感性的な部分だと思っていたのだけど、というか派生的に感性的な部分が損なわれたというところもあると思うけれども、より知に対して、知への信頼に対して、自分自身の知に対する真っ当な評価というものに対して、の認識がかなり崩壊してしまっていたのだなと思う。知的な方法が顧みられない実務の現場と、とことんまで深く広くまた専門的な能力が限界まで要求される知の現場、そして日本的な知の体系、というか自分がそれまで培ってきた知の体系がたとえばアメリカ的な知の体系とは適合しないという現実、何というか三つの力のベクトルが破壊的に働いて何かが壊れたということだったのかなという感じがする。

積み上げてきた知の体系と新しい文化にぶつかったときにその体系自体を問い直さなければならないということは明治の初めとかによく起こったことで、正岡子規にしても夏目漱石にしてもその中から「日本的な近代」というものを血のにじむような努力をしつつ生み出してきたわけだ。わたしも、そこで何かを選択していたとしたら、というか明らかに選択したのだが、それはアメリカ的な体系に乗り換えることはしない、ということだった。ただその体系に対して批判はあるし、その体系が更新されなくなり、消滅してしまうという恐怖は耐えなければならないものとして残る、ということはある。学問にも流行り廃りがあるし、「ガラパゴス化」と言われるように、日本的な価値観とある種の世界標準が対立した時に日本的な価値観の産物が批判や嘲笑にさらされることにも耐えなければならない。しかし従来の価値観を墨守するだけでは新しい時代には存在することすら許されないということになりかねない。子規が古今集や紀貫之を否定したことによって古典研究に酷い足枷がかけられてしまったが、伝統墨守の古今集至上主義では新時代の短詩体として短歌や俳句が生き残っていくことはできないという決死の思いが子規にはあった。古今集否定は劇薬ではあったが、それによって短詩体が生き残ったという面は確かにある。

広く深い知の現場に関わっていくことの能力的限界というものを感じたこともかなりダメージはあった。それも考えてみたら、言語能力の限界ということもあるが外国世界における外国世界での発想や思考の枠組みたいなものを生理的に受け入れにくいということもあったなあと今にしては思う。そこが突き抜けられなかったのが自分の限界だったかなと思うが、今外国の小説や学問とは違う領域のものを読んでいると、あれはこういうことだったのかなと思い当たるところがあったりするわけで、つまりは外国の考え方との付き合いが狭かったということだったんだなと思う。映画などは散々見たが、趣味が偏っていたし。

知的なものが顧みられない世界に対する恐怖心のようなものはいまだにある。これはしかし、子どものころからのことなので根が深い。中学の頃、「英語」という苦手科目が出来て安心した、ということがあったが、知よりも感性に走ったのも、そういう逃避的な側面があったのかもしれないなと思う。「知は力なり」と言うが、そこまで知のことを信用できていない。知に頼り過ぎると自滅する、ということが本能的な教訓としてどこかに刻みつけられている。

まあネガティブなことを色々書いてきたのだけど、また人に読んでもらうようなものでもないのかもしれないが、まあ自分としては自分の記録としてこういうことを考えたということを残しておきたい。ブログ以外のこういう文章はどうしても散逸してしまう。

まあとにかく、今気持ちの持ち方として大事なことは、自分の「知」というものをもう一度信じてみる、ということなのだと思う。

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by Luke Peterson

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