小説の彫琢とか/「ゲゲゲの女房」とか

Posted at 10/07/16

一転して今日は暑い。しかしこの暑さは、すごい蒸し暑さだ。夕方から一雨来るということだけど、それでたぶん少しはひんやりするのだろう。八大竜王雨やめたまえ、ではあるけれども、適度に降ってくれないとそれも困る。

このところ頭が弛まなくて困っていたが、腹を緩める操法をして下腹に力が入るようになると全体にだいぶ楽になった。でも、小説に集中していた感じが少し取れてしまって、小説の全体像についてまた考え込んだりした。しかし、ああだこうだ考えて一章まるまる削ったり、他の一章を大体半分にしたりして刈り込む気にもなったので、それなりの意味はあったのだと思う。ベースを作るために必要だと感じていたところなのだけど、そこから発展する話が全然ないので、全体の中の有機的連関に問題があると思っていたのだ。切ってみたらすっきりはしたけど、それでほかのところに支障が出ないかどうか、また見直さなければいけないなと思う。大体全体の4割近くまで見直しは進んだ。

しかし、何というか彫琢はまだまだだなと思う。友人がデッサンを何十日も毎日同じ絵に描き込んでいくという話をしていて、確かにそうしてみると絵の奥行きとか深まりという点で全然違う、というのを(写メだけど)見せてもらって、確かに一つの作品にどれだけ手を加えるかということがその作品の実在性というかリアリティの深さをどれだけ強めるかというのを見ているので、さらに何度か彫琢したいという感じがする。そして、こういうことと言うのはやってみないとその意味も面白さも大変さも分からないなと改めて思った。芝居を書いているときは劇団内で何度ももみながら書き直したけれど、一人でやるやり方があまりピンと来てなかった。第一稿を書くときのモードと、彫琢のモードは自分の中でかなり違うので、そのモード変換の仕方にかなり手間取った。まあでも全体的に、自分の内面というか感性と言うか、とにかく「自分」どっぷりの状態から如何に普遍性のあるものに引き上げて行くかという作業なんだなと思う。その過程で焼きを入れ、何度も鋼を叩いて不純物を飛ばす。なんか、そういう作業だなと思う。

ゲゲゲの女房
武良布枝
実業之日本社

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10時半ごろそれでも少し気分転換しようと思い、車で書店に出かける。店頭に『ゲゲゲの女房』とか、『ゲゲゲの娘、れれれの娘、らららの娘』とかが並んでいるのを見る。私は最近、毎朝必ず「ゲゲゲの女房」を見ているので、ついついそういうものが目に付くんだなと思う。いまWilipediaでみて知ったのだが、「墓場の鬼太郎」を「ゲゲゲの鬼太郎」に変えたのはアニメ化の際にスポンサーの注文があったかららしい。同時代より少し遅れると思うが、私もたぶん古雑誌で「墓場の鬼太郎」を読んだ覚えがあるので、何かこのあたりのことは懐かしい。水木氏は当時調布在住だったと言うが、私も府中に住んでいたので、似たような武蔵野の風景を見ていたんだろうなと思う。

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘
水木 悦子,手塚 るみ子,赤塚 りえ子
文藝春秋

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しまむらで靴下を買ったりして帰宅。くるぶしの少し上のところまでしかない綿のソックスがあって、あまりみたことがなかったのでつい水色のそれを買ってしまった。なんか、ブラックスーツの時に履くいわゆるオジサン的(十分おじさんなんだが)なソックスみたいな感じで落ち着かない。

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by Luke Peterson

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