頭痛がする/歴史と音楽

Posted at 10/05/22

昨日の夜から軽い頭痛。10時に仕事を終え、帰宅、夕食、入浴。一応入ることにした。就寝は12時前。今朝起きたのは5時過ぎだった。頭痛の依って来るところは頭の左の奥の方、副鼻腔のほうではないかという気がする。基本的には風邪だと思うが、こういう頭痛を伴う風はこのところ、というか多分3年くらいはなかったと思う。起きてから活元運動をしたりモーニングページを書いたり。頭痛は意識したりしなかったりだが、右の耳の調子もあまりよくない。

物を書く気があまりしないのと、ものを考える気もあまりしないので、寝ているか本を読んでいるかという感じになってしまう。ただ本を読んでいてもどれくらい頭に入っているのかはアヤシイ。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
岡田 暁生
中央公論新社

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岡田暁生『西洋音楽史』を読んでいる。市民社会の推移と音楽家の様式や方向性との関連性の説明が鮮やかだ。バッハがプロテスタント音楽だ、というのは実ははじめて認識したのだが、バロックの代表的な作曲家はバッハだが、もっとも特異な作曲家でもあるというのもおもしろい。バッハはドイツ音楽の自己聖化の過程の中で再発見された作曲家であって、それがなければ時代の変化の中で忘れ去られた作曲家であったというのも知らなかった。それが、ドイツにイタリアやフランスに対する文化的コンプレックスに由来する、というのも全くなるほどなあと思う。

また、1830-40年代はパリが音楽の中心で、音楽家たちはみなパリで成功することを夢見ていたというのは、『葬送』を読んでいるしもちろん知っていたのだけど、そうした大作曲家の中にはフランス人がいないというのも指摘されてはじめて気がついた。リストもショパンもシューマンもメンデルスゾーンもマイアベーアもパガニーニもみな外国人なのだ。パリは音楽の都であったが、ウィンブルドン化していたわけだ。そしてサン=サーンス、ショーソン、ドビュッシーらフランス人の大作曲家が出てきたのは1870年の普仏戦争敗北以後で、ドイツに対抗するナショナリズムの現われとして出てきた、というのも目から鱗だった。音楽の傾向がそこまで歴史の流れと重なっているとは、今まであまり考えたことがなかった。現在204/243ページ。

ああ、思ったよりは頭の中もしゃんとしているようだ。

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