大人になりたくない春/片づけの神というよりキツネ/『1Q84』Book3を買った

Posted at 10/04/16

今朝も雪。さすがに、カーテンを開けて噴き出した。なんだそれ。今日は4月16日。4月も後半になって雪が降るとは。地球寒冷化か。いや慣例化じゃないぞ、MS-IMEよ。今日はスタッドレスのままのタイヤを交換に行こうと思っていたが、タイヤを積み下ろししたりするのも寒い時にやれば腰を痛めそうだし、延期した。家の周りのごみなどを片付けようとも思っていたのだが、それも延期。早くまともに暖かくなってほしい。桜は満開のまま。もう白木蓮も咲いている。季節は回っているのに、気候だけはいやいやを繰り返す赤ちゃんのようだ。今年の春は、ピーターパンシンドロームの子供みたいだな。

ストーブをつけようとしたら灯油が切れているので、玄関のポリタンクで補充しようとしたら、ポリタンクもカラ。仕方ないので屋外の灯油タンク(長野県の家には大抵自家用の灯油タンクがある。100キロリットルとか200キロリットルとか入る)に補充に行くついでに、ごみを出すことにする。台所のごみを車に積んで、まず地元のごみ置き場に出してから職場に出て、職場のごみを処理する。戻ってきてポリタンクに灯油を補充。もう屋外のタンクも残量が少ない。今年は本当に寒い日が多く(暖かい日も多いが)、灯油を使う量がいつもの年に比べてかなり多いのだと思う。また注文しなくては。ポリタンクを玄関に運んで、朝食。

今朝起きた時に、胃の調子がよくないなと思ったので朝は抜こうと思っていたのだが、働いていたらお腹が減ってきたので、天然酵母パンをなるべく薄くスライスして、少し焼いて温めた牛乳と食べた。毎朝、この程度でいいんだよなと思う。今週のモーニングの「OL進化論」で、母親はダイエットするって言っても無視してとんかつを揚げたりする、で、結局食べてしまうし、食べてきたと嘘をつくと胸が痛むし夜食を食べないかと言われると腹も減る、「母親ってダイエットの敵だよね」という4コマがあったのだが、全くそう思う。作ってくれたら食べないと悪いと思うし、でも食べると食べ過ぎて調子を崩す、という感じ。母親はどっちに転んでも「食べさせたい人」(表題)なんだな、と思うと、なんだか妙に納得だった。うちの母だけじゃないんだな、そういう人は。そういう「苦労」をするのは自分だけではないと思えば、自分もうまくやらなけりゃなあと思う。

朝食時に父の納骨のことを少し話したら母がとめどもなく話し始めて失敗したなと思った。こういうことを気軽に口にすると突っ込みがすごくて対処が大変だ。参列者への連絡は母に頼もうと思って「連絡はどうする?」と言ったら「やってくれればありがたい」と言われてしまったので、「分担しよう」ということにしたのだけど、明らかに私の方が連絡先が多い。うーん、なんとなくはめられた気がする。いや、話し始めたのはこっちの方なんだけどさ。母は一枚上手ということか。

しかしまあ、しばらくそういうことも考えないようにしていたが、思い出したように父関係の行事というか、そういうものがある。自分は自分でやらなければならないこともあるけど、そういうことはそういうことでちゃんと自分の考えを持っておかないといけないなと思う。

自室に戻って、なんとなく疲れてしまい、ストーブをつけてごろっと横になる。本当は執筆時間なのだが、ちょっと現実逃避、というか休憩。気持ちが落ち込むと、後頭部の左側が下がってくる、という話を『月刊全生』で読んだが、ここのところ頭が疲れて後頭部の右側が下がっていたので、ちょっと気持ちを落ち込ませてバランスを取った方がいいのかと思った。しかしあんまり全体が下がっても困るのか。「ジャイキリ」とか「宇宙兄弟」とか「呼び出し一」とかをモーニング本誌で読み返す。奇数号は「ピアノの森」が載っているので取ってあるのだが、偶数号は結構最近のものも捨ててしまったかもしれない。古いのはまだ捨ててないのもあるのに。片付けの神が降臨するというが、まあそういうことのやる気になっているというのは神というよりキツネがついているようなもので、あとで考えると取っておけばよかったなと思うものまで捨ててしまう。そういうのって何とかならんものかな。

ふと時計を見ると10時10分。きょうは『1Q84』のBook3の発売日だ。朝のテレビを見た母が今朝7時から三省堂でBook3の発売がはじまって、買う人たちが行列を作っていた、という話をしていたなあと思いだす。Book1・2の発売日は公の日より2日ほど前に首都圏では売りだしていたが、今回は全国一斉にしたんだなと思う。まあ、Book1・2があれだけ売れたら3もある程度は固いから、最初からかなり刷っただろう。まあ買えるかどうかは分からないが、蔦屋に行ってみようと思い、車で出かける。雪は降り続いている。積りはしないけど。

蔦屋についてレジのところを入ったら、Book3が平積みになっていた。10冊くらいある。早速手にし、レジに持って行ったら、Tカードが期限が来ているので更新するかと言われた。最初は面倒だなと思ったが、また出直すのもさらに面倒なので、更新を済ませる。車に戻り、ガソリンを入れに行く。この地域で一番安いスタンドに行ったが、レギュラーで130円。ここのところずっと、高くても120円台だったから、また値段が上がってるんだな。少し間があいたせいもあって、3050円になった。

自室に戻り、モーニングページをかいて、それからブログをかいた。いま12時。

まあ、今日Book3が手に入ったということは、今日読めということなんだろう。創作に影響が出るかなという気もしたが、ちょっと展開に行き詰ってもいるので、刺激を受けた方がいいかもしれないとも思う。まずちょっと読んでみよう。

・・・目次を見ていきなりのけぞる。おいおいそういう展開かよ。さて目次を見ただけで驚いた理由は?理由は次週のモーニングで!(嘘)

明日は多分ネタばれ日記になるでしょう。(予報)

***

1Q84 BOOK 3
村上春樹
新潮社

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村上春樹『1Q84』Book3(新潮社、2010)を読み始めている。現在64/602ページ。もう一割読んだのか。きっと間もなくしたら、雨後の筍のように読了ブログが出てくるんだろう。私は今回はそんなに速くは読んでいないので、初日入手組の中ではレビューは後発組に入ることになるだろうと思う。膨大な『1Q84』レビューの渦の中に、またひとつ小石を放り込むことになる。

今回、読んではいるけれども、Book1と2をちゃんと読みなおしたわけではない。だから、Book3を読み進めながら小説全体の設定や結構を思い出しながら読んでいる。記憶の中に沈んでいたものが少しずつ浮かび上がってくるのが面白い。天吾が父を看病しているところを読んで、Book1と2を読んでから3までの間に私の父も入院し、また意識のない状態になり、死んだ。そうしてみると、こちら側の変化で小説の持つ意味がまた違ってくる。あたりまえのことだが、Book1と2を読んだ時の自分と、いまの自分とは同じ自分ではない。しかし一人の人間として継続して感じる部分もあるわけで、小説というものの不思議さを感じる。

実は、いま私は長編小説を書いていて、行き詰ったり書き進んだりしながら書いているのだけど、Book3を読んで、少し疲れてきたら小説を書き、小説を書いて、少し疲れてきたらBook3を読む、というのを繰り返していると、村上春樹という人がとても身近に感じて来る。こういうふうに考えて、こういうふうに感じてこういうふうに書いたんだろうな、ということを想像したり、時には「わかった」りする。村上春樹という作家は「好きな作家」ではないのだけど、でも好き嫌いなどどうでもいいというか、「同じ時代に生きている人」という感じがしてきている。

そうして書くと、やはり文体が似てきてしまうのではないかという危惧もないではないが、いまのところそんなに似てはいない。多少の影響はあるかもしれないが、推敲の時に直せばいいと思う。とにかくまず一度最後まで書くこと。半年かけて書いた小説を半年かけて直す、という話があったが、そのくらいの感じでやってみてもいい。

ということでレビューはあす以降に。

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