書くということ/こうの史代とか自然食レストランとか/来年はショパンイヤー

Posted at 09/12/20

最近、どうもなかなか書きたいことが書ききれない。不完全燃焼のままブログをアップすることが多い。そうなると、書くのも億劫になってきてなかなか書けない。今日(日曜日)もかけないまま、日付が変わってしまった。でも書く。書くことだけは毎日やらないと、自分の中の何かがおかしくなってしまいそうな感じがする。

書くのはしかし何もブログでなくてもいいわけで、思ったことを自分しか読まない文章にまとめたってかまわない。であるならば、なぜブログを書くのだろうか。読んでもらうということが自分の中で大きいときはもちろん書くだけの動機があるわけだけど、今は読んでもらうことよりもとにかく書くということが大事なことは確かだ。そういう文章を人前に晒すということがよいことなのかどうかはわからないが、どんなに不調でも人前で演技を続けることに意味がある、ということを芝居をやっていたときに思ったことがある。人の視線を感じることには、それだけで意味がある。文章もまたそうだと思う。読まれることに意味がある。それが伝わるかどうかは次の問題。読まれることで場に何かが生まれる。

後で読み返して見ると、実に不十分な文章であることに驚くことも多い。そのとき一体何と戦っていたのか、読み直してみてもわからないこともままある。ただ、文章を書くということ、それ自体が戦いなのだ。戦いを放棄してはならない。それだけの理由で文章を書いているのかもしれない。

日本辺境論 (新潮新書)
内田 樹
新潮社

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内田樹の『日本辺境論』を読んでいて、面白いと思ったのは日本人の学びが無限遠の到達点を見据えていた「道」になっていて、それがある意味未熟であることを自分に許してしまう「甘さ」につながる、ということだった。どこまで行っても自分はまだまだだ、という謙虚さは我々にとってもちろん美徳だと思うのだけど、それは自分自身が一個の最終的な人間としてすべてをさらけ出す強さにつながらない、「ここがロードスだ、ここで飛べ」という踏ん切りがつかないという弱点があるという指摘は全くその通りだと思った。

確かに人の一生はすべて学びの途中であって、どこまで行っても到達点はない、というのはそれはそれで正しい。(と思う)。しかし、だからといって自分がどこまでいっているのか、それをみなの前で見せる、飛んで見せる、真の主体として屹立することがなければ人として生きたというには不十分だろう。

私も文章を書いていて、「~と思う」とか、「だと思うがよくわからない」ということをよく書く。それは道の途中であるということを意識しているわけだけど、そればかりだとどうも腰が座っていない感じがして、文章としての品格に欠ける。断定しすぎている文章も内容がなければバカっぽくなるが、断定が出来ない文章もみっともないものだ。頭の中でぐずぐず考えていることを文章にすることで何かが前に進むということも多い。書くということは待ったなしの行為なので、人前で話し続けることの即時性を、文章でもなるべく保っていたいと思う。

今日は久々に爆発的につぶやいた。一日62ツイートというのは、フォロワーの人にとっては少々迷惑かもしれない。ネタはいろいろだが、詳しくはツイッターまとめブログまたはツイログを参照されたし。

なんか言葉は溢れてるんだけど、それがブログにつながらない感じがする。いいたいことはたくさんあるのだけど断片的だ、ということなんだろうか。

ちょっと行動記録を書いておこう。昨日は7時前の特急で帰京。特急の中では『日本辺境論』を読み進めようと思ったのだけどあまり進まなかった。最近の疲れが溜まっていて、昨夜は1時半頃寝たのだが、今朝は起きたらなんと10時。久々の爆睡だった。わさわさしていたら友人からメール。昼食を食べてから電話した。長電話になって、4時近くまで。2時間半くらい話したか。これも久々だな。そういえばドコモから明細がきていて、1万五千円。11月分だから、父が倒れてそこら中に電話をしまくっていた時期だ。ある程度は仕方ないなと思うが、一通話が最低でも20円するということがわかり、これは少々高いなとも思う。何分か話すとすぐ100円を越えている。本当はなるべく公衆電話を使ったほうがいいのかもしれない。まあとにかく、4時前に出かける。友達と話してまあけっこうすっきりしはしたのだけどなんだか疲れが表面化して来もした。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
こうの 史代
双葉社

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久々に神保町に出かける。「がいあプロジェクト」でショパンのあんパンとラパンノワールのシリアルクッキーを買う。当てもなく歩いて書泉ブックマートへ。3階でなんとなくマンガを探し、読もうかなと思っていてなんとなく読んでなかったこうの史代『この世界の片隅に』(双葉社、2008-9)の上中下巻を3冊大人買いした。(そんな大袈裟なものじゃないが)ぼちぼち読んでいるが面白い。やっぱりこうの史代は外れがないなあ。そのわりに、なんだか買うときに余計な感情が入ってしまうのは、「原爆ものの作者」という先入観があるからなんだろう。もっと若いときなら、それはそれ、これはこれともっと明確に区別が出来た気がする、と気にご都合主義的過ぎるくらいに。いまはそういうことにちょっとこだわってしまうのは、なんだかつまらない気もするが、自分なりのある種の保身なのかもしれない。自分自身を責めないですむように自主規制してしまう、それもまたある種の保身であるはず。やめたい。

いちばんわかりやすい相続・贈与の本
曽根 恵子
成美堂出版

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三省堂へ。いま自分の直面している問題について、もう少しちゃんと考えられるように、もう少し勉強しておこうと思う。曽根恵子『いちばんわかりやすい相続・贈与の本』(成美堂出版、2009)と豊田啓盟『トコトンやさしい会社法』(ナツメ社、2007)の二冊を買う。立ち読みした感じではそれぞれいちばん自分にとってわかりやすいように思えた。東京堂へ。何を買うというあてもなかったのだけど、立ち読みした『週刊現代』が面白かったので買った。巻頭がファイターズ稲葉のインタビュー。この種の週刊誌は最近読んでなかったが、けっこう面白い。

図解 トコトンやさしい会社法
豊田 啓盟
ナツメ社

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腹がへったから適当な店に入って食べようと思うが、これというのが思いつかない。これもまた例によって無意識に抵抗を感じてしまう自然食の店にあえて入ってみた。一階が『、マザーズ』というショップで地下が自然食レストラン。バイキングで1260円。なんだか高い気がするけど、ちょっとした店でハンバーグ定食でも食べれば1000円を越えるんだからまあいいだろうと意を決して(大袈裟)入ってみる。これが大正解。ごはん(五穀米と玄米)も味噌汁も美味しく、おかずも全種類食べてみた。久しぶりに腹いっぱい食べたという感じ。最近は、食べすぎだと感じても腹いっぱいという感じがあまりしなかった。美味しい。懐かしい味といえばいいか。食後にコーヒーを頼んだが、これは外れ。オーガニックコーヒーというものでいまだに旨いと思ったことがない。でも全体的にはすこぶる満足した。

音楽の友 2010年 01月号 [雑誌]

音楽之友社

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三省堂に戻って音楽雑誌を見る。来年はショパン生誕200年のショパンイヤーなので、どの雑誌もショパン特集をしていて立ち読みしてても没頭してしまった。今日はもうたくさん本を買ってしまったから買わなかったけど、また買って読もうかと思う。

田舎にいると本当に忙しくて疲れてしまうのだが、少しでも自分の世界に没入すると全然疲れが違う。短時間で自分の世界に入れるのが、大きな書店と自然食レストランとショパンのピアノだな、と思う。大きな、というほどの書店は田舎にはないし、自然食レストランもかなり行かないとないけれども、ショパンはいつでも聞こうと思えば聞ける。とにかくもっと自分のペースでやらないとだめだ。

そういえば聞いていたピアノソナタ2番はポリーニではなくヴィルヘルム・ケンプだった。何でまちがえたんだろう。ポリーニの2番も聞いてみたいなとは思うのだけど。

幻想ポロネーズ~ケンプ/ショパン名演集
ケンプ(ヴィルヘルム)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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by Luke Peterson

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