「子どもに読ませたい一冊」を探しながら子どものころの読書を思い出す/人に勧められた本を読む楽しみ

Posted at 09/10/28 Comment(6)»

昨日。ツイッターで教養と読書、という話題について特急のなかで携帯でつぶやいていたら、たくさんの方が参入してきていただいた。ツイッターにアクセスできない時間につけていただいたコメントに対して気がついた都度返信していたのだが、タイムラインの流れが速く全てを見るのには何度も「もっと見る」をクリックしなければならず、最後の返信を書き終わったときには夜中の一時半を越えていた。

最近にない夜更かしなのだが、朝は6時前に起きたので、睡眠時間は4時間ちょい。ただ、こういうことで睡眠時間が減るのはあまり疲れない。ただ、携帯を打ちつづけて右腕がだるくなってきたが。高校生にはこういうところは敵わない。

いや実際、昨日は久々に充実感があった。で、せっかくいろいろ言っていただいたので、具体的な書名を挙げていただいたものはなるべく読もうと、図書館に出かけて探した。

ご紹介いただいたのは寺村輝夫「おばけのはなし」「ぼくは王さま」。これは小学生向け。藤沢周平「蝉しぐれ」。有島武郎「生まれいずる悩み」、ヒルティ「眠られぬ夜のために」。吉川英治「鳴門秘帖」。民族叙事詩の「ローランの歌」「カレワラ」といったところ。見落としがあったら申し訳ありません。それから個人的にプラトンを探してみようと思った。

寺村輝夫。全然知らなかったのだけど、図書館で児童書のコーナーで手にとって見ると、読んだことがあるようなないような。1950年代から執筆しているのでどこかで読んだことがあるかもしれない。おばけの話などは、誰の筆によるものかはわからないけど似たようなものはたくさん読んだことは確かだ。「サーカスに入った王さま」というのを、ひょっとしたら読んだことがあるかもしれない。

おばけのはなし (1) (寺村輝夫のむかし話)
寺村 輝夫
あかね書房

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小学生のころ、と言うと、まず熱心に読んだのは国語の教科書だった。「小さい白いにわとり」とか「チックとタック」とか、「きかんしゃやえもん」とか。6年生の最後が「最後の授業」だったことは忘れられない。あれは大人の文学への扉をノックしたような、心の高まりがあった。次に、学研の学習雑誌、『科学と学習』の学習に掲載されていたもの。教科書はだいたい、前の学年の最後に渡されたように記憶しているが、その日のうちに国語の教科書は全部読んだ。授業の時にはその内容はもう全部覚えているし、だいたい「ハイハイハイハイ!せんせい~」だった。一番授業が楽しかったのって、小学生のころであったことは確かだ。3年生のときの担任が作文に熱心な先生で、私は課題以外にもいくつも作文を書いて先生のところに持っていって読んでもらったりしていた。まあ周りから見れば何だこいつ、というような生徒だが、個人的には楽しかった。休み時間とかは遊びまくっていたし。ああだんだん思い出してきた。小学校は楽しかったよおおむね。放課後は図書館に入り浸って、他に生徒も先生も誰もいなくて、夕方になって暗くなるまで、先生が「帰りなさい」というまで図書館にいて、読みかけの本を借りて、(手続きも全部自分でやった)読みながら歩いて帰った。だから側溝にはまったりして、怪我が絶えなかったが。あのころはほんと充実してたな。野犬の群れに追いかけられたりはしたが、まあ何とか生き延びたし。

寺村輝夫、という固有名詞は多分、当時(70年代前半)は認識している人は少なかったと思う。いわさきちひろとか長新太とか、そういう人は知ってたけど。児童文学や絵本を読むと、そういう記憶が蘇ってくる。自分の中ではドリトル先生やホームズシリーズ、ナルニアや児童文学全集みたいな翻訳ものの記憶が強いが、多分それは低学年のときの記憶が高学年のときの記憶によって上書きされてしまっているんだと思う。「シナの五人兄弟」とか「ちびくろサンボ」など、好きだった絵本もいくつかあるが、あれは幼稚園から小学校の低学年くらいだと思うが、やはり記憶としてどういうときに読んだかまではあまり覚えてない。「みどりのゆび」を読んだのが多分2年か3年だったと思う。絵本から、挿絵のある児童文学にうつり、絵のない小説に移って行くわけだけど、私は絵本から挿絵への移り変わりは抵抗がなかったけど、挿絵のない小説に移っていくのはちょっと大変だった。「ロビンソンの冒険」「スイスのロビンソン」「15少年漂流記」なんていうのもだんだん挿絵が少なくなっていて、「スイスのロビンソン」は挿絵なしで読んだ最初の小説かもしれない。今でも覚えているのは中学1年のときになぜかあったモーパッサンの「女の一生」の、それも初夜の場面を読んで、「大人の小説って嫌な感じなんだな」という印象を持ったこと。そういう場面を読んだのはまさに第二次性徴真っ盛りだったからなんだろうけど、まあ中学生が読んで面白い小説じゃあないよな。そこから小説はまた教科書に限定されていって、魯迅の「故郷」を読んだときに図書館で探して「阿Q正伝」を読んでみるとかしたけれど、なかなか「出会い」はなかったなあと思う。

中学生のころ読んだのは少年向けのSFだったかな。福島正実や小松左京、そうそう星新一はずいぶん読んだ。アシモフの『銀河帝国の興亡』を読んだのも中学生から高校生にかけて。『私はロボット』とか、社会風刺的なものは好きだった。ブラッドベリの『詩』という短篇も好きだった。あのころは本格的な小説でこれが好きだ、というものがなく、読むのは歴史もの(小説というより歴史の概説書)が中心だった。井伏鱒二「山椒魚」太宰治「走れメロス」は覚えている。文学の畑では詩が好きだった。萩原朔太郎は衝撃だったし、谷川俊太郎には、やっぱりやられた。高校生のときに授業で扱った小説で印象に残っているのが中島敦「山月記」。これはあとで「弟子」なども読んだ。あとはやはり森鴎外「舞姫」と夏目漱石の「こころ」かな。「舞姫」で文語の美文調に酔うことを覚え、「こころ」はよく友達同士で「下さい下さい、お嬢さんを下さい」とか「よござんす、差し上げましょう」とか、「精神的に向上心のないやつは馬鹿だ」なんてセリフを弄んでいたことをよく覚えている。

人生って、小説の主人公によりは、歴史の登場人物とかに思い入れして見るタイプだったので、人生の悩みを小説が救った、というような経験はあまり思い当たらない。高校生くらいでも、人間のあり方について一番共感していたのは「ナルニア」に描かれた人たちだった。小説ってむしろ、人生を脇道に逸らさせる危険な麻薬のようなものだと思っていた。25を超えてから太宰や三島を読んで、その感を深くした。

ああ、考えてみたら高校生のころ、村上龍「限りなく透明に近いブルー」とか池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」などを読んでこういうものが文学なんだと思ってあまり近づかなくなった、ということもあったな。なんていうか、こういうものって「出会い」というのが大きいなと思う。

鳴門秘帖〈1〉 (吉川英治歴史時代文庫)
吉川 英治
講談社

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ああ、なんだか話がずれた。結局、図書館で借りてきたのは『吉川英治集「鳴門秘帖」』(筑摩書房昭和国民文学全集Ⅰ、1973)と『プラトンⅠ』(中央公論社世界の名著6、1966)の二冊。「鳴門秘帖」はなんというか、官能的な文体とでもいうか。そういうと語弊があるかな。でもある意味色っぽい文体だなと思う。まだ数ページちらちらみただけだけど。『プラトン』は最初の「リュシス」を少し読んだだけだが、いきなり少年愛全開の世界で驚いた。そういうものがある、ということは知っていたがここまでとは。

結論。人に勧められた本を読んでみるというのは、とても楽しい試みだ。この年になると、自分の好みというのはわかっている気がしてしまうものだが、まだまだそんな閉塞的なものではない。こういうことで、読書の新しい世界が広がることは、人生に新しい楽しみが生まれることでもある。読書サイトも、こんな風にしてやっていけるといいなと思う。
***

Comic ZERO-SUM (コミック ゼロサム) 2009年 12月号 [雑誌]

一迅社

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午前中に山麓に出かけて話し合い。帰りにゲオで『コミックゼロサム』を買う。「ランドリオール」はリゲインが革命の真実を話し終えた。このあとどう展開するのか。DXがこの話をどう受け止めるのか。先が読みたい。

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CommentData » Posted by shakti at 09/10/28

寺村 輝夫、超人気の王さまシリーズですよ。私は何冊も朗読しCD教材にしました。

それからこの人はアフリカが好きで、なんとシュバイツァーという子ども向きの本も書いているそうです。みつからないけれど。なんとシュバちゃん、パター名リズム批判の本です。

CommentData » Posted by kous37 at 09/10/28

そうなんですか。私は知りませんでしたが、有名なんですね。ひょっとしたら小学校の図書館にもあったのかもしれません。

シュヴァイツァーのパターナリズムを批判した子ども向けの本があるんですか?なんだかすごそうですね。(笑)私も子どものころシュヴァイツァーの伝記は読んだことありますが、そんな本ではなかったと思います。

CommentData » Posted by shakti at 09/10/29

寺村さんとうのは、超ナンセンスな王様の物語なんですね。王様が卵を食べようとしたら、ぽかあんと割れて、なかから虫が出てきてこんにちはして。みたいな感じでどんどん進む不思議な物語です。ある人は、教訓や道徳から全く自由な子供向け読み物であると評価していました。たしかに、そういう意味で希有だと思います。

これに対して、たとえば広島のずっこけ三人組とかになると、オモシロイは面白いのですが、なんていうのかな、昔の少年探偵団みたいな感じで、ある種ワンパターンなストーリー展開とみました。(一冊しか朗読していないので、はっきりわからないが)。

その寺村が、シュバ批判かよーと思うと不思議です。
「アフリカのシュバイツァー 」

http://www.amazon.co.jp/アフリカのシュバイツァー-フォア文庫-寺村-輝夫/dp/4494026778/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1256744204&sr=1-2-spell

CommentData » Posted by kous37 at 09/10/29

>寺村さんとうのは、超ナンセンスな王様の物語なんですね。王様が卵を食べようとしたら、ぽかあんと割れて、なかから虫が出てきてこんにちはして。みたいな感じでどんどん進む不思議な物語です。ある人は、教訓や道徳から全く自由な子供向け読み物であると評価していました。たしかに、そういう意味で希有だと思います。

なるほど、割と最近の絵本とかはそういう方向のものも多いようですが、それをごく初期にやったということなのかもしれません。まあ古い児童文学の殻を破るという点ではある種の戦後民主主義の方向性でもあるし、植民地主義批判とかに行くのも山中恒の戦争批判とかと同じく、児童文学者の一つのタイプかという気もしますが、どうなんでしょうか。

CommentData » Posted by shakti at 09/10/30

>割と最近の絵本とかはそういう方向のものも多いようですが、それをごく初期にやったということなのかもしれません。

なんか、勘違いしていますね。

寺村は、ずーっと、その路線をやっていった人なんですよ。ま、王様シリーズ以外にもありますが、基本的にそういった話中心。卵が好きな王様が、鯨の卵を欲しいと駄々をこねてとか。。。ナンセンス児童文学の巨匠じゃないのかな。

http://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=528584

シュバちゃんの話は、あ、この人にもこういう側面があったのかあ、へえ、驚いた!というエピソードにすぎないんですね。

CommentData » Posted by kous37 at 09/10/30

>なんか、勘違いしていますね。寺村は、ずーっと、その路線をやっていった人なんですよ。

いや、それはわかってます。今の流行の初期、という意味ではなく、戦後児童文学の初期、みたいな意味で言ったんですが、表現が悪かったかな。

また時間ができたら王様シリーズも読んでみます。図書館にはたくさんありましたので。

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