回遊魚と定着魚

Posted at 09/10/06

夕べは少し頑張りすぎてPCの前に座る時間が長すぎてどうも目も肩も緊張が取れないまま寝てしまった。風呂に入って頭も洗ったのだが。朝になってから一種体操をすればよかった、と思ったのだけど、そういうことを思いつかないのがこういうとき。4時半頃目が覚めて、頭から背骨に息を通して、少しは寝られたのだけど、やはりまだちょっと。今朝はPCを見ないぞ、と思っていたのに、メールチェックとブログの更新だけしようと座ったら結局ミクシィもタイムラインも百景もテキスト庵もチェックしてしまい、そうなるとコメントの返事を読んだり何かにRTをつけたりするわけで、やっぱりもう目が疲れてきた。大概にせんといかん。

昨日ずいぶん(ブログ以外にも)書いたので、まだ頭の中の整理がちゃんと終わってない。書く前に考えることと、書いた後に考えることはいろいろ変わってくるし、書かないとき、書けない時に考えることと、書いているとき、書けているときに考えることもかなり違う。

こちらにAERAの勝間和代と香山リカの対談はバカの壁、という話が書いてあって、そうだろうな、と思う。読まずにコメントするのもどうかと思うのだけど。私は勝間和代の本はときどき読むけど、香山リカの本は読まない。だいたい同世代で、この世代のこういう人はこういうことを言う、ということがわかっているからと言うこともあるのだが、わかってしまうだけになんだか読みたくないなあという感じだ。ただ、お互いに異物感が高いだろうから、その対談は読んでみる意味があるかもしれないなあと思った。

勝間和代は、明らかに自分と違う人だから読んでみようと言う気になる、という感じだ。モチベーションの部分で共感できるところはほとんどないけど、そういう人がどういうことを考えてどういうことをやろうとするのかということは興味がないことはない。勝間和代は前進病というか、泳いでないと死んでしまうマグロやカツオの仲間みたいなものだし、香山リカは定着病というか関アジとか岩場に好んで生息するタイプだという気がする。そういう人たち同士が共感を感じる部分というのは、当然あまり多くないだろうと思う。
数から言ってどちらが多いかとかいう問題はあるが、もうタイプの違いというしかなくて、私たちが若いころ(80年代)はまったり行こうぜ的なはじめての時代だったけど、現代はまだまだリーマンショック後とはいえやはり回遊魚の時代なんだろう、基本的には。

なんていうか、世代の違い・文化の違いもあるだろうな。マルクス主義・社会主義というものとある程度は対峙しなければならなかった世代と、そういうものは最初からない世代。同世代でも「どのへん」にいたかで結構違うけど。勝間はやはりアメリカ的遮光メガネを通して世界を見ているし、香山は基本的に日本の伝統インテリ的遮光メガネで見ている、ということもある。見えるものが相当違うのは仕方がない。私はどちらかというと香山のほうに近いけど、近いから違和感が強いということはある。

勝間さんとか、サラ・イネス『誰も寝てはならぬ』を面白いと思ったりはきっとしないだろうなと思う。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday