理性より行動/リセット願望/理性のブラッシュアップ

Posted at 09/09/20

寒い朝。澄み渡った空。起きたときには星が出ていた。夜が白んでから散歩に出かけて帰ってきた。久しぶりに歩くと、車に乗って通る道も別の側面が見えてくる。朝は冷え込んでいて、坂道をのぼっても汗をかかない。

昨日。午前中物を書いて、昼前に山麓に出かける。いろいろな行事があるせいか、道がずいぶん混んでいる。思ったよりずっと時間がかかって困った。帰ってきて昼食、昼過ぎから6時半まで仕事。日曜日に松本で用事があるので今日は実家泊まり。帰ってきてFMをつけたらN響の定期公演をやっていた。メンデルスゾーン。8時ごろ夕食、鶏の水炊き。もうそういうものが美味しい季節になった。入浴し、早く休む。

今朝起きたら4時半。でも10時頃には寝たので、6時間以上は寝ている。よく寝たなあという感じ。それにしても土曜日というのはどうしてこんなに疲れるんだろう。

ゲーテ格言集 (新潮文庫)
ゲーテ,高橋 健二
新潮社

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昨日は山麓に行く途中に本屋によって『ゲーテ格言集』(新潮文庫、1952)を買った。いろいろ考えさせられることがあるのだが、読んでいると、ゲーテという人は基本的に行動の人なんだなと思う。行動の重要性を強調する言葉がとても多い。その理性も、観想する理性なのではなく、行動する理性なのだなと思う。「思索なんかする奴は、枯野原で悪霊にぐるぐる引き回されている動物みたいなものです。そのまわりには美しい緑の牧場があるのに。」「一切の理論は灰色で、緑なのは生活の黄金の木だ」このあたりは太宰治とかがずいぶん影響を受けたんじゃないかなという気がする。「半時間くらいでは何も出来ないと考えているより、世の中の一番つまらぬことでもする方がまさっている」何かせずにはいられない、のではないかという気もするが。

これを買ったのは、主観性―思いとか感情とか―に惑わされることなく客観性―大局観とか―をもって進め、みたいな言葉を見たような気がしたからなのだが、そのあと捜してみてもその言葉が出てこない。「常識は人類の護り神である」という言葉はあるが。

***

自分の中にいつも大きな不満があり、それがときどき強力な破壊衝動として作用している、ということに気がついた。それは自分が生きていることそれ自体なのかもしれない、不満があるからこそ人は向上しようとするのだから。しかしそれが破壊につながるということはもちろん自分の中の歯車が上手く回っていない、あるいはたとえばエンジンの密閉に問題がある、みたいな問題がどこかにあるということだろう。

「リセット願望」というのは私にもあるのだが、さすがに若い頃のようにすべてを白紙に戻して、というところまではなかなか思わない。いや、思ってもさすがに自制することが多いのだが、逆に個別的なことに関してはかなり先鋭な行動に走ることもないではない。しかしそのときに十分な判断が働いているとは限らない。そのときに働くべき理性は、観想的なものでは役に立たないのだ。観念ではなく、むしろ常識に近いような、というか本来常識というものはそういうものなのだろう、自分のなかではかなり観念的にとらえられているが、行動理性のようなものととらえるべきだろう、そうした行動理性のようなものがうまく働かないことが多い。

車を運転中の判断力というのは結局、車を運転することによって、経験によって向上させていくしかないように、自分の表現する上での判断も表現することを積み重ねていくことによってしか向上はしていかないのだろうけど、観想的な思考から行動的な思考にうつるときの齟齬のようなものがいつもなかなかうまく行かないことが多い。

「形作れ!芸術家よ!語るな!ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし。」

要は思考と制作のバランスなのだが、というか、私自身の思考とか理性の部分を、一度ブラッシュアップすべきなんだろうなという印象を持っている。どうすればいいのかは見当がつかないが。

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