「その悪意は、解決すべき問題なのか」

Posted at 09/06/20 Comment(5)»

昨日。松本への行き返り、何度か途中休憩あり。最初は湖畔のセブンイレブン、次は松本歯科大近くのセブンイレブン。そこで『ナンバー』731号、「WBC後の物語」を買った。帰りは野麦街道沿いのローソン、奈良井川近くのフラワーセンター、岡谷のヤマダ電機。なんだか途中で何度も気分転換をしたくなったのだ。湖畔に行って、職場に行って、仕事はまあそんなに忙しくはなかった。10時過ぎに一度家に帰り、食事と入浴を済ませたあと、仕事が残っているのに気がついてまた職場に戻った。すぐに帰って寝た。寝る前に久しぶりにブランデーを水で割って飲んだが、飲みすぎたらやばい感じがあって少しにした。

朝は6時半起床。少しモーニングページを書いて、『ジャイキリ』を読み直す。見るたびにイラストレーションとしての完成度に感心する。締め切りがなければもっと絵の質を上げたい部分があるに違いないと思う。マンガとしては十分だが。でもこの人がもし『ジャイキリ』で豪華本を作るならば、もっともっと絵の質を上げたい部分はたくさんあるだろうと推測する。出たら買います。椿がカルロスを抜く場面の見開き。椿が名古屋のスタジアムを見上げるコマ。最高です。

『ナンバー』。どの記事もおもしろい。原の監督術、原でなければできない部分がたくさんあったんだなと思う。非情とさえいえる部分が随所にあった。原はエリートで、なおかつどことなく抜けていて、でも使命感では誰にも負けない。そういうところは、巨人という球団のスターにはある意味不可欠なんじゃないかと思う。頭が良すぎる(雰囲気の)選手や監督はジャイアンツには似合わないのだ、どういうわけか。知将三原よりダンディ水原。クレバーな広岡より天然の長島。大スターになるのは「頭いい!」と思う人ではないんだな。スターは多くの人に憧れられる人でなければならず、頭いい(という雰囲気の)人、というのは憧れる人が限られている。これはどういうわけかそうなのだ。

断る力 (文春新書)
勝間 和代
文藝春秋

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勝間和代『断る力』。現在130ページ。「嫌いの原因」という話。これは中島義道『ひとを<嫌う>ということ』からの引用だというが、面白いので孫引きさせていただく。

1.相手が自分の期待に応えてくれないこと。
2.相手が自分に危害を加える虞があること。
3.相手に対する嫉妬。
4.相手に対する軽蔑。
5.相手が自分を軽蔑しているという感じがすること。
6.相手が自分を嫌っているという感じがすること。
7.相手に対する絶対的無関心。
8.相手に対する生理的・観念的な拒絶反応。

自分が人を嫌う理由は何だろうかと考えてみる。私は相手に無条件で期待するということはあまりしないし、たとえ期待に応えてくれなければ落ち込むけれども嫌うということはあまり思い当たらないので1番はそんなにない。2番はよくある。これでヒステリックになることもよくあるので、このへんは気をつけなければいけないと思う。嫉妬、というのは普段はない、というか自分にも見えないのだが酒を飲んだときとかに嫉妬感情が暴走することがあって、これも気をつけないといけないと思っている。そういう物を持ちそうな相手とは飲まないようにする、という消極的な自衛策もあるが、それよりは自分が精進して人を嫉妬する必要がないように自分を向上させる方が得策だ。3番はちょっと危険だが、でもこれは「嫌う」というのとも自分の中では違うんだよな。でもその暴走に付き合わされた相手は100パーセント私を嫌いになるだろうし嫌われていると思うだろう。これは恥ずかしいことなので気をつけたい。

4の相手に対する軽蔑。これはかなりある。イヤだな、と思うことをすると自分の中で軽蔑感情は相当高まる。相手に見せるかどうかは別として、というかこれはコントロールしやすいので表に出すことはまずない。ということは逆に自分の中に内攻するので時に自分を焼く火になることがある。……軽蔑ってなんだろうな。これも多分、自分のやりたいことをやりたいように100パーセントやっていたら、誰かを軽蔑するなんて暇はない気がする。これも自分の問題の現われと見ることもできる気がする。

5・6番の、「軽蔑されてる、嫌われている」、という感じ。これは被害妄想の場合もあるし、事実の場合もある。これはしかし、相手のことなので自分ではいかんともしがたい。誤解を解いて解決する場合もなくはないが、大人になるとなかなかそれもできなくなる。これは基本的にほっておくしかない。

7番の相手に対する絶対的無関心。これは何だ、シカトということかな。眼中にないというか。こちらがいくらかでも相手に関心があって、相手が全く無関心だったら悲しいし憤りを感じる、ということだろうか。私自身も以前、全然関心を払っていなかった人から突然すごく怒られて面食らったことが何度かある。こちらが関心を示したのに相手が無反応で悲しくなって離れたこともある。うーんどうなんだ?この悲しみを武器にして相手に無理に近づいたら、それはストーカーというものだろう。いずれにしてもこれも自分に自信の持てる自分がない、という人に現れる現象だろうとは思う。やるべきことは多分決まっている。

8番。生理的なもの。これは私にも結構大きい。ガングロとかズボンの股ばきとかが流行ったころ、ああいうのは本当に生理的にダメだった。見るだけで頭にきた。本当に嫌でしょうがなかった。あれは何でだろうなあ。本当に汚らしい印象のあるものって本当にダメなんだ。本来汚いものが汚いのは仕方ないのだが、「あえて汚らしくする、という意志」が全く受け入れられない。それは小ぎれいさ・清潔さを目指す社会に対する反抗という位置付けがあったのだと思うが、そういう小汚いものって私にとっては絶対悪なのだ。

相手が自分を嫌う嫌い方を理解するためには、自分が何かを嫌う嫌い方を理解して置くことが重要だ、ということはそうだなと思う。こうして書いてみると、結局のところ、ずいぶん私には嫌いなものが多い。しかしそれはまた、こちらが嫌っているとその嫌っているという感じによって相手もこちらを嫌うことがあるので嫌いの種をまいているようなものでもある、ということは自覚しておく必要がある。

自分で解決のしようのない相手からの悪意に対しては割り切って、つまり「嫌われることへの割り切り」をもたなければならないと勝間は言う。悪意には冷静に戦略的に対処しなければならないと。

とても面白いと思ったのは、会社などの掲示板で誹謗中傷の書き込みをするのは、99パーセントはその会社の社員か取引先なのだそうだ。同じように悪意の持った書き込みや相手に対してイヤなことを繰り返すのも「ほんのちょっとした知り合い」であることが多いのだそうだ。

ウェブ上での付き合いしかなかったり、あるいは知らないうちにその人の文章を読んでいる、というだけの「ほんのちょっとした知り合い」が突然攻撃性を露わにする。そういう例は確かによくあるし、ずいぶん昔に書いたことをいきなり指摘されて空恐ろしい思いをした人も少なくないだろう。向うはこちらをとてもよく知っている(気がする)が、こちらは向うの正体があまりよく分らない。これは確かに怖いことだ。

しかし、こういう攻撃性の高い人の行いたいことはただひとつで、「自分が相手よりも優位である」ことを認めてほしい、自己承認欲求がほとんどだというのは重要だ。こちらや一般の人から見れば悪意があるように見えるが、書き込んだ本人は正義だと思っていて、悪意だと思っていないことが多いのだという。歪んだ正義であれ本人が正しいと思っていれば攻撃すること自体の矛先は鈍らない。客観的に見れば悪意でも本人にとっては正義の鉄槌なのである。たとえどんなに嫌がられようとも。

攻撃される人と攻撃している人の関係性は何で、相手はこちらの何をたたくことでカタルシスを得ようとしているのかを理解することが重要だという。それを理解することで、「その悪意は、解決すべき問題なのか」を判断することが重要だという。解決すべきならそれが有用性を損なわない範囲で可能ならばしたほうがいいし、そうでないなら放置するという選択肢もあるのだ。

重要なのは、この「スルー」、あるいは「相手にしない」ということにも一定の意志が必要だということを理解する必要がある、ということだと思う。ある程度は「忍耐」が必要なのだから。その「忍耐」が理不尽だと思うと、人は行動したくなってしまう。戦うにしろ、逃避するにしろ。しかしその忍耐する力というのが人間の体でいえば自然治癒力とか免疫力というものなのだと思う。過剰に反応すると、病原菌を勢いづけてしまうだけでなく、体がバランスを崩してしまう。こちらのバランスを崩さない範囲で対応しなければならない。

悪意にはいずれにしても意志を持って対処する必要があるのだ。悪意もまた意志なのだから。全く面倒なことだが、人間は悪意から完全に無関係であることは不可能である以上、ある程度の意志は常に持つべきなのだということだと思う。自分を守るために、また自分の文章を読んでくれる人のためにも。

"「その悪意は、解決すべき問題なのか」"へのコメント

CommentData » Posted by shakti at 09/06/21

悪意の問題は大変興味深い問題なと思いました。また分析も面白いですね。私も思わぬ人から、予想もつかぬ悪意をもたれる場合がありました。アイリッシュのスリラー小説や村上春樹(?)の小説なんかも、そういう問題を不kんでいる鴨知れません。

しかし、直接関わりのないひとから悪意をもたれるという場合もあるでしょう。たとえば次のブログなんですが、Mさんは誰かさんから告発されてしまいます。 英検の不正をやったのではないかという中傷です。(こういうのは内部しか知り得ないことですが、この人の個人経営ではそういう内部者が出るとは思えません)。

私には推測ができるのです。そしておそらくMさんも同じようなことを考えているでしょうが、同業他社のCが犯人でしょう。なぜかというと、このC社のブログは他社の悪口が満ちあふれており、かつ私の家にも、C社からと推定できる嫌がらせ電話がかかってきたからです。ここで重要なのは、C社の人たちの悪意は、ライバル会社への具体的な敵対関係に基づいて悪意を抱いているのではなく、抽象的で広がりをもつ悪意を抱いていると言うことです。

興味深いが不気味。そういう悪意の発露がある。ネット時代の抽象的な他者。もしかしたら、星新一の「声の網」はそういう作品だったかもしれないなと思い出します。

CommentData » Posted by kous37 at 09/06/22

コメントどうも。

>しかし、直接関わりのないひとから悪意をもたれるという場合もあるでしょう。

個人情報に関わるようなのでURLは削除させていただきましたが、その例でも直接かかわりがないわけではない。結局、『商売敵』という明確な関係性があるわけですよね。ですから、むしろ明確な利害対立の構造があるというべきではないでしょうか。

ノーマルに考えれば学習塾などで他の誹謗中傷をすることなど、自分にとっても損になるとしか思えませんが、ある種の比較広告のつもりでやっているのでしょうか。逆に、その程度の中傷で離れて行ったり、近づいてこなかったりする顧客は相手にしないという手もありますし、ないしはそうした攻撃がいかに根拠がないかを冷静に明快に開示するという手もありますね。

いずれにしても客商売なので、冷静さを失ったら負けだと思います。特に不特定多数を相手にする場合には。それに、勝間和代が言うように、相手はおそらく、自分が間違ったことをしているという意識はないと思います。見ている人に、「有益な情報」を与えているのだから「正しい」と思っているのではないでしょうか。

CommentData » Posted by shakti at 09/06/22

たしかに「商売敵」だといえなくもないです。が、広い業界全般に対して悪意や敵意を持っている40台ないしは50台の女性自営業者というのは、ちょっと不気味です。M社は商売敵といっても、対等に戦えるレベルになってから商売敵とすべきでしょう、常識的に言えば。


>見ている人に、「有益な情報」を与えているのだから「正しい」と思っているのではないでしょうか。

そのとおりです。100%独りよがり。 (この塾は異様に料金が高いので、根本的な勘違いをしているのだと思います)

といか勝間でも読んでろ、というところでしょうか。

CommentData » Posted by shakti at 09/06/22

実はM社のほうにも落ち度があったのです。

一度だけブログで、「わ、なんだ、これ? 滅茶苦茶に高い塾があるねえ」みたいなことを書いてしまったのです。もちろん塾名は公表しませんし、一般市民はどの塾のことだかわかりません。しかし、本人が見れば分かります。

それでC社の逆鱗を買って、「告発」されてしまったのではないかと、推測します。

ちょっと脚色すればスリラーサスペンス映画になりそうな実話です。

CommentData » Posted by kous37 at 09/06/22

悪意のコントロールという観点から言うと、その方は毒を吐いてプラスになっているのかどうかというとあまりなってはいないでしょうし、読ませる対象は基本的には父兄ですよね。毒のある文言を読んで「ここに子どもを通わせたい!」と思う人がいるとは思えません。どこかのバランスが崩れているのであればそのうち大人しくなるのではないかという気もします。あまり気にしないのが一番ではないでしょうか。

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