演繹タイプと帰納タイプ

Posted at 09/03/07

昨日。なんだか疲れが出て早めに帰り、食事・入浴・就寝。最近食べすぎだなと思う。意識して食を減らさなければと思う。

幸田露伴『努力論』読了。これはもともと口語文なのだが、それをさらにわかりやすく渡辺昇一が現代語訳したものなのだけど、読み終えてみると少し不満が残る。やはり原文の味わいをちゃんと味わった方がよりよいのではないかという気がする。岩波文庫で出ているのでもう一冊買って読んでみようと思う。

野口晴哉『叱り方 褒め方』面白い。一つ一つ本当に思い当たったり顔が赤らんだりへええっと納得したりすることが多い。演繹的な方法が理解しやすいタイプと、帰納法的な方法が理解しやすいタイプがいる、というのはまさにその通り。私などは最初にゴールを設定して、これこれこうだから、こうなんだ、こうやればいいんだ、ということを理解した上でこれはそもそもこういうことなんだ、とその理論の根源を理解した方が分りやすいタイプなのだ。最初から丁寧に説明するタイプの人だと、しかもそれが脇道にいろいろ入ったりする説明になるとだんだんイヤになってきて、「で結論は何なの?何をしてほしいの?」とすぐ聞いてしまう。昔は我慢していたが最近はわりあいすぐそういう質問になる。しかし世の中の人はそういう人ばかりではないんだなと改めて思う。

私も人に教えていて、最初から丁寧に順を追って説明しないと理解できない人っていうのはいるんだなあと思うのだが、そういう人は現実問題に対するとこれはこういう事情だからこういう対応をしたほうがいいよね、という話は理解しにくい。私などは応用問題があってからそれに対応するのに基本問題を勉強する、という方がずっと取り組み易いのだが、まあ教える場合はもちろん基本から丁寧に、というふうになる。これは自分の生理的な仕組みとは逆なのでどうも落ち着かないのだが、物事の構造というのはそうなっているのだと逆に理解した側面もあるし、また複雑な構造だと位置から順に追っていかないと理解できないことも多く、そういうものは昔は苦手だったが、今ではそういうことを面白く感じるということもある。それは逆に生理的な自然に逆らっているから面白いのだが、そうするのが生理的な人にとっては当然なだけで特に面白いわけでもないのかもしれないとも思った。

自分にとって不自然なことこそが、知的に楽しめるというのは実際にあるなと思うし、そういうことでバランスをとっているということもあるなあと思う。現在173/235ページ。

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