河合隼雄、谷川俊太郎、中沢新一、そして宮崎駿

Posted at 08/08/06 Comment(2)»

毎週火曜日に帰郷している。普通は12時の特急に乗るのだけど、夏休みは時間の都合で一つ前の電車に乗っている。ちょうどバカンスに出かけるのにちょうどいい時間になってしまうようで、最近はいつも混雑している。普通なら隣の席が空いているのだけど、昨日は窓際は既に満席になっていて、通路側の席に座った。窓側の客が甲府で降りたので、その後はいつものとおりになった。

魂にメスはいらない―ユング心理学講義 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄,谷川 俊太郎
講談社

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河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない』読了。簡単に読み流していい感じではないのだが、読んで一日もするとしっかりとした把握がもう薄れてきている。そのとき書き込みをした文章などをちょっと取り上げてみる。

「そういうストラクチュアを持とうというのは、日本人には非常に珍しいんです。日本人は区切りで勝負するんじゃなくて、流れで勝負することが多いですから。」

区切りで勝負する西洋人と流れで勝負する日本人。確かにかの国の人々の文章は区切りが強調されすぎていて辟易することはある。日本人の文章は流れで意味がわかるのだが重要なところに線を引こうとすると全部引かなければならなくなったりする。

ユングの性格論には内向・外向の区分のほかに、心理機能を分けている。感情と思考の対立、直観と感覚の対立という二つの軸があるのだそうだ。赤い服を着た人を見て、「にあってるなあ」という感情と、「なぜ赤いのを着ているんだろう」という思考は両立しにくいというわけだ。また感覚型の人はものそのものを見、直観型の人はその背後にあるものを見る、のだという。もちろんどの心理機能も一人の人間の中にあるけれども、メインファンクションかそうでないかという違いがあるのだそうだ。思考と直観、感情と感覚というものは連関性がある気がするが、それについては触れられていない。

心理分析をしていくと価値観が弱まっていく、無秩序にすべてを受け入れてしまう危険性がある、という話。これは私には凄くわかる感じで、そうならないように危険信号がものすごく早く出て、その結果周りがしらけるということがよくあるということになっている。難しい話。河合はわりと簡単に言っているが、逆に言えばそれだけ自我が強固なんだろうなあと思う。

谷川の詩を河合が解釈するという中に、『夕景』という詩があった。

ふたたび西の空に幾重にも雲は吹き寄せ
かくくり返すものにくり返し支えられつつ
なおも私たちは明日へと駆り立てられる
古びた旋律はうろ憶えに歌うたび甦えり
死者への愛惜は薄れゆく残光に深まる
この世につけ加えるべき何ものがあるだろう
(後略)

この詩はいい。なんとなく言い回しに三好達治っぽさを感じる。谷川もこういう詩を書くんだ。

仏教が好き! (朝日文庫 か 39-1)
河合 隼雄,中沢 新一
朝日新聞出版

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読了して河合隼雄・中沢新一『仏教が好き!』を読み始めた。現在72/302ページ。なかなか面白い。中沢新一という学者を私はどうも信用していなかったけど、彼しか持っていない知見というのは確かにあるなあと再認識した。嫌いなところを吸収する必要はないにしても、学ぶべきことは学ぶという姿勢をとるべきだなと思った。

ただ彼が「対称性」にこだわるのはどうも違和感があってしょうがない。仏教がいいのは人間と動物に対称性があるからだとか、つまり仏教では人間も動物も「衆生」として同じものとしてみているという意味だけど、宗教において対称性が崩れたのは帝国の成立、つまり国家権力を成り立たせる構造として採用されたからだと言っているわけだ。中沢のこの言い方はアナーキスティックで、いや誰か別の人がいう分にはアナーキーならアナーキーの面白さがあると思うのだけど、中沢が言うことにどうも違和感があるのだ。多分そこには彼の罠が、あるいは毒があるからであって、それに私が敏感に反応しているのだと思う。国家というものの存在は権力そのものだから、権力の存在それ自身が疎外によって生じた現象であるということを彼は言っているわけで、知によってあるいは仏教によって国家の否定に結びつけようという戦略を彼は述べているわけだ。

私は国家は必要悪であると思う。今の世界において国家がなくなったらただアナーキーな無秩序状態、ソマリアやザイールのような救いのない状態になるだろうとしか思えない。なんというか、そうならないセーフティーネットを考慮しないで、国家の否定ばかりにうつつを抜かしている感じがどうも嫌なのだ。多分中沢ほどの知性なら必要悪としての国家のあり方に対する考察ももっと緻密なものができると思うのに、そこをスルーしているのがどうも納得が行かないとでもいえばいいのだろうか。それは専門外だ、というのは学者のいいわけであって、知はもっと全体性を持ったものでなければならない。狭いし屋野学者や専門家がキーキー言う分には別にあまり気にならないのだ。中沢ほどの知性がその点において怠慢をこいているのが私には気に入らないということなんだと思う。逆にいえば、私はずいぶん中沢を評価しているんだないうことに書いていて気づいてちょっとびっくりした。

夜は『プロフェッショナル』、宮崎駿特集を見る。私は宮崎の監督作品は一つも見ていない。ハイジとか、昔の監督でない作品は結構見ているけれども。宮崎の価値観と自分の価値観が一致しない部分が多いからなんだろうなあと思う。まあスターウォーズとかエヴァンゲリオンとかガンダムシリーズとかも私は見ていないので、食わず嫌い選手権に過ぎないという部分も多々あろうが。

しかしクリエーターとしての宮崎と言う人は非常に面白いと思う。戦後日本の代表的な表現者のひとりと言っていいのではないか。これだけ広く世界に受け入れられている表現者はなかなか日本にはいないだろう。そしてその表現している内容が戦後日本そのものであるということが一つポイントなんだと思う。

今までの作品は正直あまり見る気がしなかったが、昨日の番組を見て、『崖の上のポニョ』は見てもいいかも、という気がした。それは、ポニョが「いい子」ではない、からだ。宮崎のアニメに出てくる子どもはどうも戦後民主主義的な「いい子」だなあという反感がどうも自分にはあって、変な化け物がたくさん出てきてもそのあたりでうんざりしてしまうということが多かったからだ。最後の長編作品ということで今までのものからの脱皮があるのだろうか。それとも期待しすぎかな。

今日は朝いろいろこまごましたことを片付け、松本に出かける。駅からタクシーを走らせ、操法を受けたあと歩いて駅へ。昼食を買って特急に乗り、車内で済ませる。松本に往復3時間弱というのは今までで最短記録。お蔭でよけいな金がかかったが。

ダ・ヴィンチ 2008年 09月号 [雑誌]

メディアファクトリー

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松本の改造社書店で『ダヴィンチ』を買い、車中で『テレプシコーラ』の続きを読む。このマンガしか基本的に読むところがないのが残念なのだが。宮部みゆきの特集とか読まないしなあ。あとは切り抜いてコラージュにでも使うくらいしか使い道がない。

"河合隼雄、谷川俊太郎、中沢新一、そして宮崎駿"へのコメント

CommentData » Posted by shakti at 08/08/07

>今までの作品は正直あまり見る気がしなかったが

正直に、これはもったいないことだと思いますよ。とくに、空を飛ぶ爽快感を、宮崎ほど快く演出できた映画作家はいないんじゃないでしょうかね。お勧めは、そういう意味も含めて「天空の城ラピュタ」です。(たぶん一番人気のある作品じゃないかな)。もちろん「トトロ」も良いです。

初期の作品は画像としては平面的ですが、それなりに面白いですよ。僕のファンだったのは「未来少年コナン」です。

>どうも戦後民主主義的な「いい子」だなあという反感

ちょっと前、宮崎の「パンダコパンダ」をDVDで見直したら(以上映画館で見ました)、実は原案となったは、なんとリンドグレーンの「長靴下のピッピ」だというのです。確かに、女の子のイメージがちょっと似ています。小学校3年生くらいの女の子が両親がいないでひとりで住んでいるというところ、いわゆる「お転婆」な点もです。

ピッピ自体は1940年代の作品ですが、いわゆる「良い子」ではなく、児童文学史的にも、面白い存在です。それを日本の文脈でどのように受け継いだのか、と興味深いです。なお、リンドグレーンの「やかまし村の子供達」には、トロールという森のおばけが言及されていて、これがトトロに変わったのだと思われます。

CommentData » Posted by kous37 at 08/08/13

宮崎アニメ、そんなにご覧になっているのですか。
うーん、でもまだ食指が動かないなあ。
ポニョもやっぱり、嫌なところが目に付くし…

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