活字依存症

Posted at 07/11/18

しばらくさる事情があって日記はお休みしていたが、今日は少し時間があるので書こうかと思う。さる事情といってもたいしたことではなく、キャメロンのレッスンのエクササイズの中に「一週間活字を読まない」というものがあるのだ。実際には仕事の関係などで読まざるを得ない部分はあるのだけど、最低限にしている。書籍、雑誌だけでなく、当然ネットもそこに入るという私の解釈だ。テレビ・ラジオも、なるべくつけないようにしている。そういうわけで書くネタもないし、そもそもネットに(メールチェック等以外は)ほとんどアクセスしないので、日記を書くという動機もやや薄れる。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン,Julia Cameron,菅 靖彦
サンマーク出版

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実際、やってみてわかるのは、自分がいかに活字に依存しているかということだ。仕事で必要なものを読んだり、調べたりするというのは別に自分の気持ちや心と関係があることではないので本来別に(多分)かまわないのだが、仕事でないときは、何もすることがないときについ本に手が伸びたり、マンガを読んだりしようとする。そこで、今エクササイズ中だから、と我慢するわけだが、これも度重なってくると結構うんざりするものだ。何度もあきらめることにうんざりするだけでなく、いかに自分がどんな場面でも時間つぶしや気分転換に本を使っていたかということを思い知らされるからだ。

そういう時間は違うことをしようとするわけで、そのときにどういうことをしようと思いつくかがその人の創造性の回復に大きな意味を持つ、ということなんだろうなあと思う。私の場合は、電車の中でなぜか猛然と短歌が書きたくなって、昨日一昨日で約60首書いてしまった。出来はとりあえず問題ではなく、それだけの量が出たということが面白いと思った。あとは本棚の整理の続き。これがなかなかやる気が出なくて困ったが、途中で方針転換して、たんすの中の衣類の整理を先にやったら、本棚の方もやる気になった。飾り棚をシンプルにまとめ、居間の居心地をアップさせたり。

それでもやることの種が切れてくると、今度は画集を引っ張り出して見始めた。実際展覧会のカタログなど、そのとき買っても後でほとんど見直していないものは多い。活字の部分をつい読んでしまうという弊害は無きにしも非ずだが、画像部分だけをぱらぱらと見るようにしてみると、ちょっと案外面白いかもと思った。人から貰ってまだほとんど見てない世界の名画集みたいなのもあるし、この機会に見るのもいいかなと思った。

あとは映画のパンフかな。これも写真だけ見るというのもちょっと至難だが、視覚的なイメージ力の回復には役に立つんじゃないかという気がする。

一週間たって、活字依存症から脱却できるかどうか。きっと、小説とかを読む力もよりリフレッシュするのではないかと、期待はしているんだけど。

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Title background photography
by Luke Peterson

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