天皇への影響力/「麻薬との戦い」と「テロとの戦い」の矛盾/安倍政権の敗因/ウツを乗り越えるということ

Posted at 07/10/12 Comment(3)»

昨日。9時前の電車で松本の方に仕事に。寒いかと思いスーツの中にブルーのベストを着ていったのだが、駅からかなり長距離を歩くこともあり、天気も良くてかなり汗ばんでしまった。仕事でパワーポイントを使うのだが、その場でアンダーラインをひいてもらえないかというような以来があったので昔使ったタブレットを持っていって仕事場で試してみたが、もう使い方を忘れていて昨日は使えなかった。次回は何とかなるかと思う。疲れが出ていたのか、昨日は万事がとろくてよくなかった。

帰りは去年から話をするようになったほかから来ている人に駅まで乗せてもらう。時間が余ったので駅の近くの本屋に行き、SAPIOを買った。以前は毎週買っていたのだけど、最近はあまり買わなくなっていた。小林よしのり『ゴーマニズム宣言』などを読む。

帰りの電車の中はどっと疲れが出てほとんど寝ていた。午後から夜にかけて仕事。松本の仕事の後処理と、飛び込みの相談が一件。継続していた文章の書き方の相談はだいぶ目処が立ってきた。それなりに忙しかった。

『幕末の朝廷』現在194ページ。関白・太閤鷹司政通の孝明天皇への影響力の強さについての分析が非常に興味深い。また、鷹司は水戸の徳川斉昭と義理の兄弟なので、斉昭から幕府内の状況を得るのだが、そこに斉昭のさまざまなかなり偏見も含まれる所説を聞かされ、鷹司がその書状を天皇に見せることで孝明天皇の現状認識がかなり斉昭の影響下に入っていってしまう様子が克明に描かれ、興奮を感じる。斉昭は烈公とおくりなされ、義公と言われた光圀(つまり水戸黄門)と並んで義烈両公と称され明治政府からも顕彰されているが、大日本史を編纂した光圀はともかく毀誉褒貶の別れる斉昭がなぜそんなに評価が高いのかと思っていたのだけど、斉昭への孝明天皇の傾倒を知ると、非常に納得できるものがあった。つまり孝明天皇の攘夷意識の背景にあったのは従来いわれていたような京都の公卿達の世界認識についての無智蒙昧さとか、迷信深さにあるのではなく、ストレートな攘夷論者徳川斉昭の影響を強く受けたため、と考えると非常に自然に納得できる。

幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白 (中公叢書)
家近 良樹
中央公論新社

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夜はイラン東部での日本人拉致事件のニュースを見ながら夕食。自衛隊も参加している海上警備行動が強化されているせいでインド洋の密輸ルートがつかえなくなり、アフガニスタンからパキスタン、イラン東部を経由するルートが繁盛しているという話はなるほどと思った。しかしそのコメントだけではちょっとよくわからないことがあり、アフガン問題は現在90年代のアメリカの主要テーマの一つだった「麻薬との戦い」という面が大きくなっていると思った。そしてこれは「テロとの戦い」とは矛盾する側面がかなり強い。タリバン政権は麻薬を徹底的に取り締まっていたからだ。テロとの戦いでタリバンを潰してしまったために麻薬がはびこることになり、それが治安を悪化させれているという悪循環。アメリカ的価値観に硬直化した戦略では乗り越えられない泥沼が結局はそこに現れているのだろうと思った。夕食後、父に愉気、入浴。もう疲れきっていて、着替えも出来ず歯も磨けず電気をつけっぱなしで寝てしまった。

朝は7時半まで起きられなかった。朝のコーヒーを飲んだあと、散歩に出かける。セブンイレブンで電気代を払って、川沿いの道をさらに行き、ちょっと中学校の方へ行ってみた。なかなか広くてひろびろとした川辺の道があり、ここを歩くのは気持ちいいだろうなと思った。太陽はもうかなり上がっていて、ご来光を見るのとは違った。

帰ってきてSAPIOをぱらぱらと読む。石原慎太郎のインタビュー、「日本人よ、あの『国家との至福の一体感』を取り戻せ」。イチローと松井の比較がなるほどこの人は感性の人だなと思わせる。「安倍君の『美しい国』はとてもいい表現だったけど、そのあとが大事だった。美しい国とは、美しい人のいる国、美しい人とは、美しい心の持ち主、日本人の美しい心とは、まさに菊と刀だと。」と言っているのが印象深い。ベネディクトの『菊と刀』はちゃんと読んでいるわけではないが、米人の日本人論ということであまり信用してなかったのだけど、石原の評価は意外と高いのだなと思った。ただ、確かに安倍前首相の「美しい国」論の弱さは理論的な面にあったとは思うので、美しさとは何か、と聞かれてそれは『菊と刀』なんだ、と答えられるような、そういう理論武装はもっとされるべきだったと思う。広報戦略については世耕補佐官などなかなか充実していたとは思うが、理論面を担うイデオローグをひとりきちんと腹心に置くべきではなかったか。安倍政権の敗因というのを最近ときどき無意識に考えるのだけど、安倍政権のようなある種のイデオロギー色を前面に出した政権では、柔軟な思考のできるイデオローグを一人確保しておくべきだったと思う。それをお神輿である安倍首相ひとりにすべて担わせていたことが安倍政権の最大の敗因だったのではないか。

もう一つ何の気なしに読んだのだが、気がついたらもう一つの特集があった。「『一億総うつ』時代に克つ 処方箋からウツ病体験まで」というものだ。この中で日垣隆が書いている「ウツ病患者諸兄、『空気を読む』のを止めて『空気(ガス)を抜こう』」という記事が面白かった。日垣は父がウツ病に陥った経験も、自身がなった経験もある。つまり、自分自身の体験もあり、一番身近に患者がいたという経験もあるということである。この記事の中でも印象に残ったのは、「頑張れは禁句ではない」というものだった。つまり、努力が足りない、という意味で頑張れ、というのは禁句だが、「あなたの代わりは他にいない」「あなたは生きているだけでかけがえのない価値がある」という意味での励ましのメッセージはしっかり伝えるべきである、という件りだった。これは本当にそうだと思う。

「ウツの人は無条件に自信を喪っている。だから周囲は、「あなたはかけがえのない人だ」というメッセージを与えつづけてほしい。…全く周囲の期待感のないところで、ウツなど克服できるわけがない。」という件りも本当にそうだと思った。

日垣はこの点で安倍前首相の症状に非常に温かい視線を寄せていて、それはなんだかいいなあと思った。周りが「首相の代わりならいくらでもいる」というメッセージを発しつづけたとか、安倍首相の周囲に起こった信頼できる先輩政治家が大臣在職中に死んだこととか、マスコミの袋叩きになったこととか、これで鈍感でいろという方が無理な話だ、という主張は全く真っ当だと思った。ここで「総理大臣たるものは…」とある種の精神論や美学論を声高に言い募るのは私は全く不当だと思う。そしてそれが安倍首相を退陣させるための作戦だったとしたら、悪魔のような行為だという気がする。もちろん相手が怪我をしている足を蹴り飛ばしてでも勝利を狙うべきだ、という価値観の持ち主だったらそうは思わないだろうが。しかしそういう人間は私は信用できないし、きっと友達になっても自分が弱ったらどぶに突き落とされるんだろうなあという気がする。

なんというか、日垣の記事を読んでいてここ十年余りの自分の精神的な変化に当てはまるところが実に多いなあと思った。「無条件の自信の喪失」というのは本当によくわかる。「自分が必要とされていない」という感覚が深くなればなるほどその自信の喪失は深まるし、まあ私は本来が外交的な性格の部分があるから病院のお世話になるほどどうにもならないことはなかったけれども、かなり厳しい時期はかなりあった。それが乗り切れたのも、確かに友人や家族、ネットを通してのさまざまな知己のおかげだったと思う。

誰でもそうではないのだろうけど、私の場合は、自信を喪失するともっと本来自分が出来そうにないこと、自分に向いていなさそうなことをしてみたくなる傾向がある。それに取り組んでできるようになってある意味一気に自信を回復しようというかなり無謀な作戦をやるわけだ。当然そういう作戦は失敗率が高く、よけい自信の喪失を深めることになる。まあそういう時というのは自分自身に対しても正常な判断が出来なくなっているからそういう方向に考えが進んでしまうんだろう。

だから、そういう時というのは、私の場合は、自分の本来の性質とか、自分がもともと持っているもの、もともと好きなものに回帰して、自分の原点にあるものの生命力を強化することが大事なんだなあと思う。なかなかそういう素直な思考や、素直な発想は、思い出したり思いついたりすることが難しいのだ。こんな単純なこと、と思うと衒いもあるし恥ずかしさもある。つい格好をつけてしまって正面から自分の原点を見られなくなることが多い。なんというか、自分自身を自分自身から隠そうという心の動きが、私の場合非常に多いのだ。理由は良くわからないのだけど。

だけど、結局はそんな単純なこと、私の場合は、単純な正義感とか、単純な知識欲とか、そういうことで心に火を灯すことが、一番大事なんじゃないかと思う。諸星大二郎が『太公望伝』で「単純に、純粋に考えるのだ」ということを何度も書いているのだけど、本当にあの言葉は大事だと思う。あの話は自分の中にいる龍を釣ることで、自分の願いを達成する太公望の話なのだが、私も自分の中の竜を釣り上げなければと思う。

"天皇への影響力/「麻薬との戦い」と「テロとの戦い」の矛盾/安倍政権の敗因/ウツを乗り越えるということ"へのコメント

CommentData » Posted by Noko at 07/10/12

Noko@うつ病再燃中 です。仕事には毎日出てくることができるレベルですけれど、各種症状が出そろいつつあります。さぼっているだけなのかもしれませんけれど。

うつと自信の件、まったくその通りだと思います。
医者としてではなく、患者として、ですけれども。
「わたしがいなくても、世界はまったく変化しない」
と、しみじみ痛感するのは、けっこうつらいです。わたしがいなくても世界は変わらなくて、わたし自身がこの世界にとどまりたくない、ならば、どうして「生きていなければならない」のか、今でもよくわかりません。身内だけは悲しむかもしれないから、だから、なのでしょうか。
病苦を抱えながら、希望を持って生活している方も多数存じ上げておりますが、その人達を尊敬はしつつも、自分自身は、そうもいかないな、というのが本音です。

◆◇◆◇◆

(キミならできる、だから)がんばれ、ならば、常に歓迎します。
あと、本来できること、本来好きなことをやる、これも正しい、ですね。本来できることを思い出したら、やってみます。

私事でした。それでは、また。

CommentData » Posted by kous37 at 07/10/15

>NOKOさん
コメント公開遅れてしまい申し訳ありませんでした。
(このひどいスパムの群を何とかできないものか・・・200あまりのスパムを排除して、NOKOさんのコメントを発見したのです。すみませんでした。)

そうなんだと思います。とにかく、生きる意味があるんだ、ということを言ってもらうことは、ものすごく意味のあることだと思います。うつにおちいっている人だけでなく、普通の人でも、少し心が疲れたときとかに、どれだけそれが励みになることか。

でもね、私は思うんですが、これは調子の悪いときの話ではないんだけど、普段からマイナス志向というか縮み志向と言うか、より小さく生きたい、(って感じ分かりますかね)って考えるのがよくないんじゃないかな、と自分のことに関しては思います。「東京に疲れたから田舎に帰って・・・」とか、「世の中の片隅の目立たないところで暮らしたい」とか、そういう志向を持っていた時期があって、(今でもゼロじゃないな…)そういう普段の姿勢が調子が悪くなったときにマイナスの加速度をつけるような気がします。

あんまり無理にプラス志向だとそれも反動が恐いんですが、なんていうか自分にふさわしいぐらいの上昇志向のようなものをコンスタントに持っていたいなあと思うのです。プラスマイナスゼロ、よりは少し上、くらいでも。

CommentData » Posted by 桃花 at 07/10/17

眉さんお元気ですか?毎日分からないC言語で苦しんでいます。(笑)今度の日曜日は試験なのです。勉強は捗っていません。終わってから勉強すれば良かったと思うのでしょうね。(笑)

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