『嵐が丘』/絶対的な孤独

Posted at 07/09/06

台風が接近しているという。ざっと降ったり、急に晴れたりの繰り返しは台風が近づいているときの天気だなあと思う。今朝は雨上がりの雰囲気で、秋の虫の鳴き声が聞こえる。山は雲をかぶって頂きは見えないが、その手前の町はくっきりと見える。コントラストがはっきりする。そう、日本の天候は、いつもその境目が見えない曖昧な濃淡で出来ている気がするが、台風が来るとそのコントラストが際立ってきて、それが隠された秘密を暴き出すような不思議な爽快感を呼ぶのだ。もう何十年も前だが、お盆に台風が来て、その台風一過の日に新宿の高層ビルの展望台でスモッグが一掃された東京の空を見たことがある。何もかもがクリアに見えてある種異様な気がした。あれだけくっきりと富士山が見えたことは、冬でも珍しい。

昨日。『嵐が丘』を読みつづけている。上巻(第一部)を読み終わり、現在下巻(第2部)の第8章。まだ読み終わってないので最終的な感想は書けないが、エミリー・ブロンテがスピリチュアルなだけでなく、非常にブリリアントな書き手だということはよく分った。頭がいいのだ。自然描写や精神面の描写、人間描写には研ぎ澄まされた感覚や奥深い巨大な感情の容量が感じられるが、それがブリリアントな頭脳、あるいは本来の意味での知性によって叱咤され、磨き上げられている。この壮大な構築物は巨大な人間性の一大遺構であり、まさに精神の所産というにふさわしい。

嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)
エミリー ブロンテ,Emily Bront¨e,河島 弘美
岩波書店

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今のところ一番感動したのは第一部の第9章。この章の文は凄い。神が書いたとしか思えない。小説の神が。今はそれに匹敵する文章がないかという期待をもって読みつづけているのだけど、キャサリンとヒースクリフの世代が荒ぶる神のような自らに忠実に生きている感があるのに対し、ヒースクリフの野望が実現されていく第二部は、その下の世代がすべて定められた運命のレールの上を歩かされている人形のように見えてしまい、というのはそれが最終的にどういう形をとるのかを最初に見せられているからなのだが、なんだか胸が痛くはなるが、規格を超えた突き動かされるような力は見えてこない。まだ下巻も半分以上あるのでどんなどんでん返しがあるのかはわからないが。

モームが『世界十大小説』の一つに『嵐が丘』を上げているそうだが、他の作品は実はほとんど読んでいなかったり読みかけだったりして、ということは自分にとって凄く面白いというものはない。ただ最近は視点も変わってきたりはしているので、『カラマーゾフの兄弟』なども読んでみてもいいかなという気はしてきている。しかしこういう大長編小説は若いうちに読んでおくべきものだな。今になると体力的にキビシイ。しかし若い頃は「読めなかった」のだから仕方がないんだけど。

若い頃は正と邪、善と悪というような問題について突き詰めて考えるのを避けていた。中途半端な意味での相対主義者だったのだと思う。それは、自分の近くに強烈な思想がいくつもあり、そういうものと自分を切り分けていたかったので、正邪や善悪の感覚そのものを刺激し過ぎないように気をつけていたからだ。革マルにオルグされて「そう考えるなら成田に援農にくるべきだ」なんてことをかなり激しく言われたりした。今考えると80年代にその会話は相当アナクロなのだが、自分の中にそういう思想的なものに惹かれる傾向が強いからこそ、そういうものを避けていたし、自分の中で突き詰めることをしなかった。「普通の一般人」になりたかったからだ。

しかし今考えると、それはかなりの回り道だった。つまりは「普通の一般人」になることに失敗した、ということなのだが。しかし、回り道ではあったがこの道しかなかったのかもしれないという気もする。あのころ手近にあったさまざまな思想や団体にのめりこんでみることも出来たのだが、どれにも徹底的に突っ込んでみる気にはなれなかった。唯一のめり込んだのは演劇だったが、それは演劇が「何かを作る」活動だったからだと思う。思想団体や運動団体では、何かを作り出したという実感も得られないまま、ただ無限運動的にずるずるとそれを続けることになった気がする。一回一回の公演で一つ一つの作品を作り上げていく演劇だからこそ熱中できたのだし、それから手を引くことも出来たのだと思う。とはいっても何度も止めたり再開したりはしたのだけど。

思想と政治とアートがどう違うかというと、やはり自分にとっては何かを作り上げるか否か、というところにあったのだと思う。作品として形に残るか否か。思想も深めていけば著書も残るだろうし、政治も関わりつづけていれば今ごろは議員様になっていたかもしれない。学生運動、新左翼運動は言うまでもなく、内申書裁判や薬害エイズ事件などの活動を通していまや議員様、という人たちはたくさんいる。私はその他にも「教育」にもかなり長い間関わったし、「学問」にもそれなりに時間をかけた。今残っているのは結局はアートなんだなあと思うけれども、そういうトータルな生きかた、何もかも手を出してしまった生き方というのは面倒ではあるが自分にとってはこれしかなかったのかなあとも思う。

しかし正と邪、善と悪という問題に戻ってきたということは、そういう精神的な意味での思想というものと取り組まなければならないときが来たということなのだろうと思う。そしてその発現形態は文章という作品を通してしていくしか、もうないのだ。

エミリー・ブロンテがヨークシャーの辺境の牧師館の中でこれだけの世界を構築しえたことはすごいことだと思うが、逆に世の中をどんなにうごめきまわっても何も作り出せないことだってあるわけで、才能という問題を除けばこころ一つ、が問題なのだと思う。

野口裕之「生きること死ぬこと 日本の自壊」。一度通読したが、再度精読している。この本に書かれている思想は一見ありふれているようで、実は非常にラジカルでここまで日本近代を批判している文章は初めてか二回目か、というくらいにラジカルなので、いいたいことをきちんと読み取ろうとノートを取りながら読み直している。現代社会の自壊現象は近代の失敗の付けが回ってきたということなのだが、とりわけ日本においてはヨーロッパの自然的な改革の結果としての近代とは違い、<日本文化>を切捨て抑圧し弾圧して死滅させた上に立っているためにその矛盾はより深い、ということになる。これで「近代」を肯定すれば丸山真男に似てくるが、野口は近代そのものも批判している。この近代批判は呉智英に近いが、呉智英がやはり知の世界にしか足場を持ってないためにある程度以上は深まっていかない憾みがあるのに対し、野口は身体という足場を持っているためにどこまでも深まっていく。あまりに深まりすぎてその境地が誰にも理解できず、絶対的な孤独にいるという感じがある。それは甲野善紀も言っていたが。

これは教育学ではない―教育詩学探究 (叢書konTakt (1))
鈴木 晶子
冬弓舎

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あまりきちんと書いてはいないが、彼の言っていることはバタイユと共通とはいわないまでも、同じような問題を扱ったり同じ思考の跡が見られたり似たような結論に近づいたりしている部分があるような気がする。

自分の道を極めれば極めるほど孤独だ、というのは仕方がないことにしても、その孤独に負けてはいけないのだなと思う。私も私しかない道を歩いてきてはしまったが、その中でやれるだけのことはやりたいと思うしやらなければと思う。

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