ルイス・キャロル『スナーク狩り』

Posted at 07/08/23

昨日。暑かった。午後から夜にかけて仕事。かなり忙しく。まあよいこと。


ルイス・キャロル『スナーク狩り』(新書館、2007)読了。面白かった。っていうか、わけわかんないんだけど、解説を読んでいるうちに面白くなってきたっていうか。

スナーク狩り
ルイス・キャロル,ヘンリー・ホリデイ,高橋 康也
新書館

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ただ、ルイス・キャロルの「ノンセンス文学」を読む上でのポイントは、飽くまで子ども向けに書かれたものだ、というところにあるんだと思うな。彼の作品を大の大人が口角泡を飛ばして論じているけど、子どもが読むように読む読み方、というのが一番正しいんだと思う。

つまり、「何これ、変なの」、と笑ったり、語呂合わせをして面白がったりするのがまずは第一のポイントで、まあそれが本当はすべてなのかもしれない。「ノンセンス文学」の「意味」を考えるのは基本的には無意味だし、意味を「確定」しようとするのはとんでもなくナンセンスだ。いろいろな意味に取れるということを楽しむ「カバン語」(旅行カバンに何でも入るようにいくつもの意味を詰め込んだ言葉)が詩的イマジネーションと言語能力を広げていくのが楽しいということだと思う。

もちろん実際には、私自身がそうだったように、いろいろ解釈やら注釈やらをつけてもらわないと何がなんだか全然わからない。大体見えてくるとそういう解釈や注釈がおおむね滑稽なものに見えてくるというたちの悪い(笑)作品だ。

個人的にはブッチャーとビーバーのコンビが可愛いなと思う。ベルマンがバンカーの襟首をつまんで船から下りてくる場面も馬鹿ばかしいったらないおかしさに満ちている。挿絵はどれもいい。

ルイスが挿絵にうるさかったとか、挿絵が気にいらないからその部分を削ってしまったとか、そういうのも子供向けに書かれたということと無縁ではないことなんだろう。

滝口修造がバリスターの夢の場面について法廷の場面の厳粛な人間のしらけたおかしさ、というものについて言及しているのは鋭いなと思った。厳粛であればあるほどしらけてしまう部分が人間というものには絶対ある。

「スナーク狩り」は「幸せ探し」だという馬鹿げた解釈をキャロル自身が気に入ってそう吹聴している、というのもすげえおかしい話だと思った。まあしかしそこまで遠いと面白い、という部分が人間にはあるが、そんなシュールさが許されるのもまた、ウゴウゴルーガ的な子ども向けのものの特性なんだろうなと思った。そういえば昔、「ミカン星人」のスクリーンセイバーを使ってたぞ私は。

子ども向けのもの以外で「アリス」をちゃんと読んだことがなかったけど、またこのシリーズでも買って読んでみようかなという気がしてきた。

***

デュラン・れい子『一度も植民地になったことがない日本』(講談社α新書、2007)読了。人間は違う文化をそう簡単に理解できるものではない、というところに共感。そのことについて日本人は確かに楽観的に過ぎると思う。何でそうなのかはよく分らないけど。

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)
デュラン れい子
講談社

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そのほか、へえっと思ったことはたくさんあるけど、なんというか、自分とどういうふうに関わりがあるのかはちょっとわからないことが多かった。

一つ上げるとすればバカンスのとき、日本人はすぐ何かをやろうとするが、ヨーロッパ人はとにかく何もしないで、一日中日光浴をする、というような休み方をする、ということ。何もしないことに意味をおくらしい。このあたりは、どちらかというと私はヨーロッパ人に近い感性かもしれないなと思う。何もしないで太陽が東から西に動くのを見ているのが最高の贅沢だという気はする。

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昨日の帰宅中に途中で雨に降られ、夜間は相当激しく降った。今朝も曇りがちで、涼しい。焼いたフライパンの上みたいだった気候も、一気に冷やされて虫の声が聞こえる。天気がよくなればまた暑くなるんだろうけど、8月も下旬に入って、秋は確実にやって来ている。

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