自分にとって必要なもの

Posted at 07/07/02

自分の書いたものと読んだものの世界の中で自分が固定されてしまっていて、自分が自由に息をできるようにするにはどうしたらいいのか、ちょっと困っていた。友達と話していて友達にはそれまでの世界と正反対なこと、恋愛とかどろどろしたものの世界から脱するには海を見に行くとかそういう自分が好きだけど反対の方向性を持った行動をしたらいいのにという話はしたのだけど、自分の場合それが何なのか分からずに、銀座を歩いたり本屋をはしごしたりしたがどうにも抜け出せずにいた。

夕方になって活元運動をしたりして少しは頭の緊張をほぐしてから散歩に出かけ、また本屋でぶらぶらしているうちに、現代の東京とか音楽とか若者の心理とか携帯とかそういう世界と自分の中で正反対のものは、『京都』だ、ということを突然思いついた。

そうだ、『京都』に行けばよかったんだ。

もちろん現実的には金も時間もないからそうは行かない。そういえば数年前、その日の朝になって思いつきで京都に日帰りで行ったことがあったが、あの時は相手もあったし、まだ金もあった。今は衝動的にそういうことをやる資力がないからそうも行かないが、『京都』ないしそれに自分の中で類するもののことを考えることが自分の精神を落ち着かせるということに思い当たった。

類するもの、というのは、たとえばお寺、日本庭園、鎌倉、茶の湯、小林秀雄、白洲正子、骨董、等々だ。本を読むというよりはもっと直接的にその空間に入ったりそのものを味わったりしたい。それができなければ、直接的にそういうものを想像するだけでいい。間に本のようなものが介在しない方がいい。

結局やったのは夕食に鯵の握りを買い、緑道公園の花菖蒲の池を散策して帰っただけなのだが、それを思いついただけでずいぶん心が軽くなった。

何で『京都』なのかはよくわからない。ただ『京都』が自分にとって必要であることだけはよくわかった。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday