ディープインパクト/手垢にまみれた言葉の手垢を落とす

Posted at 06/10/02

ディープインパクト、日本での前評判は高かったが、実際にはどうだったのかな。8頭中3位では満足の行く結果とはいえないだろう。敗因分析はこれからいろいろなされると思うが、私が思うには、結局は馬自体のフランスでのレース経験ということになるのではないかと思う。2ヶ月前にフランス入りして調教したといっても、レースは初体験なのだから、地の利に勝るほかの馬の方が有利なのは否めないのではないか。一度レースを経験させてから大きな大会に臨むというのがいろいろな意味でプラスなのではないかと思うのだが、どうなのだろう。素人の考えに過ぎないが。

なんとなくMXテレビを見ていたら、『森の工房』というウッドクラフトの工房の話を取り上げていて、なんだか苦労なさって今の店を作り上げた話を見て感動した。最近こういうアートや工芸方面の方にアンテナが向いているらしく、こういう話は面白い。子どもがかじったりしても大丈夫なように、子どものウッドのおもちゃに植物油のみで塗装するという話が印象的だった。合成油と違い、はがれてきても白っぽくならないのだという。そういう工夫は興味深い。

misimaという旧仮名変換支援ソフトを知る。現代仮名遣いで書いた文章を旧かなに変換してくれるという優れもの。旧仮名変換のワープロソフトはどこかで売っていたが、高い。ウェブ上でできるというのはありがたい。

同じ方のサイトでプーシキンの『オネーギン』についての論文を見つけ、ダウンロードする。ゆっくり読んでみたいと思う。そういえば最近ロシア文学は読んでいなかった。プーシキンもそうだが、あの幻想性のようなものを、私は愛する。好きなものを一つ一つ思い出して確認することは、今大切なことに思える。

有元利夫ほか『有元利夫 絵を描く楽しさ』(新潮社、2006)を読んでいる。有元の絵とこんなにきちんと向き合ったのはいつ以来か。そして有元の文章を読んだのは、ほとんど初めてではないかと思う。1985年に38歳で亡くなった画家。文章はその時代性というか、70年代や80年代の前半に私も感じていたことと共通するようなことが書かれていて興味深い。この人はちょうど団塊の世代なのだが、その世代性を全く感じないところがすごい。

有元利夫 絵を描く楽しさ

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特に印象に残った文。『浮遊すること』と題されたエッセイがあるのだが、有元は「天にも昇る気持ち」という言い回しが大好きなのだという。しかし、その表現が「手垢にまみれた」ものとされて敬遠されていくことがいかにも残念だ、というのである。

「…「通俗」には、人間の深部に根差したものがあることをまず認めたい。そういうものは本当に美しいからこそ、通俗になってしまうものを持っている、と。それが「手垢にまみれた」表現なら、まみれた手垢を落としてみよう、と言いたいのです。だってそうでしょう、いけないのは手垢の方であって、当の表現そのものには何の責任もないのですから。手垢にまみれた「天にも昇る気持ち」や青い空や富士山やジョコンダの方こそ、いい迷惑というものです。」

この言葉には全く深く共感する。言いたいことを言いたいように言うと古臭い、手垢にまみれた表現になってしまう、ということはとてもよくある。そのとき、もっと洒落た表現に言い換えようとするより、むしろその手垢を落とす方向に考えてみると言うのはとても面白い。その「手垢」の本質こそ人間性の何か負の部分が表現されているのではないかと言う気もするし、考えてみたら面白いのではないかと思う。

『読書三昧』もよろしくどうぞ。

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