音楽を聴くこと/九月の雨

Posted at 06/09/01

今日から9月。朝から雨がしのついている。少し寒い。涼やかな空気が夏の名残を洗い流している。昨日は歯科を受診し、結局膿を出して抗生物質の処方を受けた。夕方に少し血が出たり痛んだりしたがたいしたことはない。9月からの仕事の準備はそれなりに進み、その日の仕事もそれなりに忙しかった。

今回の帰省では『ベストクラッシック100』のCDを持って来ているので、気分転換に音楽を聴きたいときもいろいろなものを聞けてこれは便利だ。今までこちらにはシューベルトのピアノ、ブラームスの1番、アルゼンチンタンゴ名曲集という偏りのきついものしかなかったので、バラエティにとんだ選曲のCDというのはこういう環境では便利だと思った。適度に心が休まる。トランジスタラジオでFMのクラッシックを聴けばいいとはじめは思っていたのだが、NHKでもいつでもクラッシックをやっているわけではないのでこちらの気分に合わせて音楽を聴けるということはありがたいことだなと思う。

ベスト・クラシック100
オムニバス(クラシック), アカデミー室内管弦楽団, マリナー(ネヴィル), ヘンデル, メニューイン(ユーディ), グスタド(カメラータ・リジィ), リジィ(アルベルト), ヴィヴァルディ, マーシャル(ウェイン), バッハ
東芝EMI

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以上のことはあたりまえのことのようなのだが、一時期音楽をほとんど全く聴かなかった時期がある。今から思えば聴けなかったのだと思うが、今はどちらかというとないと淋しいくらいの感じになっている。どちらが人間として心豊かかというと、やはり音楽を聴くことのできる心の余裕くらいはあった方がいいようだ。ジャンルも、昔はフォーク(笑)・ニューミュージック(古いな)、ハードロック、ポップスという感じから民族音楽や教会音楽(このへんは坂本龍一の影響か)などを聴いていたが、最近はクラッシックがメインだ。心がごちゃごちゃしているときは秩序だった音楽を聴く方が心がすっきりする。昔は心がごちゃごちゃしていなかったかというと全くそんなことはないのだが、昔は秩序よりも無秩序や混沌を愛していたのだ。それが一時、混沌に対する否定が自分自身の多くの部分の否定につながり、感性が悟性の強力な抑圧を受けている時期があった。今はそれはだいぶ緩んできていて、そのあたりが楽になったのだと思う。

自分の中での「秩序への支持」が「秩序への愛」に、よりナチュラルなものになってきたために混沌もまたそれはそれとして受け入れられるようになったのだろうと思う。理気二元論でいえば「気」のほうにばかり関心がいっていたのが理と気のバランスが取れてきたということだろうか。さてまああまり大きなことを言うと唇が寒いのでこれくらいにしておこう。

それでもFMのクラッシック番組はありがたい。知らない曲、知らない演奏家の話を聞くことによって新しい関心が広がる。6時からの「バロックの森」、7時20分からと午後2時からの『ミュージックプラザ第1部』は条件さえ合えばだいたい聴いている。

雨が強くなってきた。不幸なことに、強い雨音を聞くとまだ7月の水害を思い出してしまう。雨音にのんびりした気分になる、という状態に戻れるのはいつのことか。


『読書三昧』もよろしく。


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