ナイポール『ある放浪者の半生』/バシュラールの認識の詩学

Posted at 06/06/16

昨日は大雨。その中をまた図書館に行く。ネットで検索したらナイポールは「有り」になっているのでどうなっているのだろうとは思ったのだが。ただもしナイポールが借りられなかったらオンダーチェかクッツェーを借りればいいと思い、調べてはおいた。雨の中、隣の市民会館から高校生がぞろぞろと出てくる。芸術鑑賞教室か何かだったのかもしれない。それをよけつつ図書館に入り、探してみるとナイポール『ある放浪者の半生』(岩波書店、2002)があった。訳者は『英語達人列伝』(中公新書)で読んだことがあった斎藤兆史だ。ちょっと期待できそう。カウンターに持っていくと昨日探してくれた人がいて、「これ昨日あれから探したんですよ。」というから「ほかのところにあったんですか」と聞くと「そうなんです。あってよかった」と言った。仕事とは言え、おかげで借りられることが出来てよかった。ついでにオンダーチェ『イギリス人の患者』(新潮社、1996)も借りたが、帰ってきてから調べると文庫が出ていて、それならクッツェーの方を借りても良かったなと思った。

ある放浪者の半生

岩波書店

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イギリス人の患者

新潮社

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ナイポールを読み始める。最初はインドの話で何がなんだかわからず、ちょっとつかみにくくて、何が面白いのかもわからなかったが、「第1章」と言う名の第2章に入ると急に面白くなった。ユーモアがあるし、それも批評的だ。第1章の「サマセット・モームの訪問」はそれの巨大な伏線と言うか、世界に放り出された主人公ウィリーの父親がガンジーに倣った「犠牲的精神」を発揮しようとするけれども伝統的な生き方から脱することが出来ないという状態(p.40「いつもその場の勢いで行動しながら先祖伝来の流儀に落ち着いた」)とみごとにコントラストをつけている。イヤこの話、説明しようとすればするほど詰まらなくなる。

ちょっと読みながら書いたメモを見ながら。最初の現実離れした感じが、村上春樹『スプートニクの恋人』をちょっと思い出させた。読むものにとって非日常的というか不条理な雰囲気が共通していると言うことだろうか。しかし読むものにとっては不条理であってもそういう世界がこの世のどこかには存在していると言うある種のリアリティが感じられるといってもいいかもしれない。……かなり不正確な表現だ、われながら。

スプートニクの恋人

講談社

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急に面白くなるのは主人公ウィリーがミッションスクール(インドのミッションスクールは後進民のためのものでエリート教育機関とは対極だ)で課題の作文で物語を書き、それを父親が読むところだ。この物語がどれもこれも「ケッサク」で、このあたりに来ると今まで我慢して読んできた部分も含めて「何でこんな奇妙なことを思いつくんだろう」という気がしてくる。このあたりは北杜夫『さびしい王様』『さびしい乞食』『さびしい姫君』のシリーズを思い出した。ユーモアの質がどこか似ている。

さびしい王様

新潮社

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現在84ページ、主人公ウィリーがロンドンに留学したところを読んでいるが、今のところはここから先は楽しく読めそうな雰囲気がある。今日中に読みきれるか。

サイード『オリエンタリズム』も少し読む。この人の該博な知識はそれ自体が面白い。(議論はともかく)バシュラールの「空間の詩学」というものが説明してある。「彼によれば、家の内部というものは、現実ないし想像力の領域における親密さや秘密性や安全性の感覚を獲得するものであり、それはそうした感覚がぴったりだと思わせるに至ったさまざまな経験のおかげなのだという。……つまり、空間は一種の詩的プロセスによって感情的な意味あい、あるいは合理的な意味合いをすら持つようになり、その結果として、空っぽで名づけようもない広がりが我々にとって意味あるものに変ずるのである。」このバシュラールの主張は認識には「詩の力」が作用しているという点で、非常に頷けるものがある。バシュラールも読みにくい思想家なのだが、読みかけの本をいつかは読みきってみたいと思う。

p.148あたりでムハンマドが「狡猾な背教者」であり「二流の異端」であると定義されることにより、「オリエントは代表者と表象」を獲得し、東洋と東洋人はある偉大な原形(キリスト、ヨーロッパ、西洋)から繰り返し生まれるまがいものと化し、彼らはその原形をひたすら模倣しつづけてきたものと考えられた。」という指摘はなるほどと思う。これを読むと、「日本人猿真似論」というのもこういう文脈から生まれてきたものなのだという理解が生まれ、我々の自己卑下が我々自身の問題ではなく、「彼ら」の偏見に由来するものだという一面が理解できるなと大いに納得した。

p.156確立されたオリエンタリズム(西欧におけるオリエント研究の集積、総体)が権威をもつようになると、それ自身が現実のオリエントに対し作用を及ぼし、またオリエント学者に対しても、西欧の一般人のオリエンタリズム消費者に対しても作用を及ぼしていく、という説明はわかりやすい。現在p.162まで。

オリエンタリズム〈上〉

平凡社

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昨日はそう忙しかったわけではなかったのだが、何か非常に疲れた。多分寒かったせいだろう。今日は雨が上がっているから気温が上がりそうだが、どうなるか。朝緊急で草刈りを手伝ったが、普段やりつけない仕事で少し腰が危ない感じになった。気をつけないと。


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