ツルゲーネフ/ドストエフスキーの語り口

Posted at 06/02/05

『ロシア怪談集』。ツルゲーネフの「不思議な話」を読了。聖愚者に一身をささげる清純な若い女性に胸を打たれる挿話だが、編者も言っているがこれを怪談というには無理がある。しかし、描かれているソフィーという女性の献身が一心な信仰によるもので、自らの意志を否定し、神の意志の前に自らを卑下するという信念が、何というかナロードニキ的なものを思わせた。時代的にはそういうころだろうか。最近読んだもので、そうした人を超越した信仰や思想に身をささげるタイプの女性を読んだことがなかったので、ああここにロシアの新しい時代が始まったのだなということを感じた。

しかしそういえば、1960年代から80年代のはじめにかけて、そうしたある種の使命感に燃えていた若い女性というのは少なくなかったのだが、最近はとんとお見かけしなくなった。それもまた新しい時代の変化というものか。最近の若い女性はいったい何に熱中しているのだろう。

ドストエフスキー「ボボーク」。語り口が可笑しい、というか洒落ている。「いまどき、ユーモアとか見事な文体なんて姿を消しているし、悪口雑言が切れ味のいい皮肉にとって代わっている。」なんて台詞は、全く2006年の今日のためにあるような台詞である。ドストエフスキーって、こんなに気の利いた文章の書ける作家だったっけ。どうしても鹿爪らしい印象が強いのだが、こういう資質をもう少し意識して読めば、途中で投げ出した『罪と罰』なども読みきれるのかもしれない、とも思った。

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