男のナルシシズムと女のナルシシズム

Posted at 06/01/17

佐藤亜紀『掠奪美術館』。批評の拠って来るセンスのようなものに対してはあまり賛同できないところが多いのだが、文章は読ませることは確か。しかし逆に、自分と違うセンスの人だからこそその指摘が面白いと言うことは確かにある。そういう文章だ。

女性と男性のナルシズムの違いについての指摘。クロムウェルは肖像画を描かせる際、「あばたのひとつ、皺のひとつ、しみのひとつたりとも描き落としてはいかん、妙な美化を加えたりしたらただではすまさん」と言ったのだという。これを強力なナルシシズムであると佐藤はとらえているが、「四十歳を過ぎたら男は自分の顔に責任を持て」と言ったと伝えられるリンカーンと同様、クロムウェルも自分の顔に自信と責任を持っていたことは間違いないだろう。男の顔には歴史が刻み込まれていると言うのは事実であり、その歴史を誇りに思っているからこそクロムウェルのような発言が出てくるわけである。それをナルシシズムと言えばそうかもしれない。自信、と言えばもう少し表現が穏やかになるだけのことである。

女性には「肖像画」はない、と佐藤は言う。つまり、女性のナルシシズムは「あばたや傷をファウンデーションで塗り隠すところから始まる」のであり、「一般に女性は、自分のあばたや傷に愛着を抱くほどナルシストではない」し、「画家にとっての女性モデルの真実は、しみや皺に目を瞑るところからはじまる」から、「結果として、女性肖像画は個性を欠いた一種の美人画となる」というわけである。このあたりはなるほどと思う。つまり男性の美は歴史的に形成されるものであるが、女性の美は永遠のものであると言い直してもいいかもしれない。つまり歴史を描き出すべき肖像画には、男しか描かれない。すなわち「肖像画家の仕事は、いい男を描くことにある」ということになるわけである。このあたりの指摘とか書き振りが微妙に先駆者である塩野七生を意識しているところが微苦笑を誘うが、塩野ほど硬質な教養はない。知識は膨大だということは十分に感じさせるが。

***

諏訪湖で不明だった男児が遺体で発見された。痛ましい。地元のことだけに書くのがはばかられていたのだが、行方不明になった当初は小中学校の教員が動員されて周囲に聞き込みに当たっていた。部活も行われず、小学生は集団登下校をしていた。市の広報車がお母さんの呼びかけを一日中拡声器で町中を流していた。男の子の写真を白黒コピーしたものが町中に張られていた。いろいろな噂が流れ、消えていった。男の子は結局、武田信玄の棺が沈められたという小坂観音下の諏訪湖の一番深い部分から程近い、釜口水門の辺りで発見された。水の中で彼の魂は、何を見ていたのだろう。

ご冥福をお祈りしたい。

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by Luke Peterson

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