『パリの恋人』『文豪の古典力』

Posted at 06/01/03

昨日は午後出かけ、文教堂でオードリー・ヘップバーンとフレッド・アステアが共演の『パリの恋人"Funny face"』のDVDを買う。そのあと丸の内の丸善に出かけ、島内景二『文豪の古典力』(文春新書、2003)を購入。『文房具を楽しく使う』で取り上げられていたトラディオプラマンも。これはなかなか筆跡がいい。スイカを解約したりその他もろもろ。大丸にでてお年賀の紅茶を買ったり夕食の豚の角煮を買ったり。

帰って来てからテレビ東京の『天下騒乱』をなんとなく見たり、しかし時間が遅くなったのでPCでDVD『パリの恋人』を見る。もう一目見たときから私はこの作品が好きだ、と確信。へプバーンはこういうコメディタッチで小粋な作品が最高だ。『昼下がりの情事』も好きなのだが、同じ1957年の作品だということをあとで知る。この映画を見てファッションの仕事を志した人がたくさんいるという話があるが、さもありなんと思う。この時代のファッション産業は実に楽しそうだ、もちろん映画の中の話だが。哲学かぶれのFunny faceのオードリーがアステア扮するカメラマンの推薦でファッション雑誌のモデルとなり、パリに渡る。オードリーは(っていうか役名は何だっけ)哲学者の集まるカフェに入り浸ったりそこで教祖的な人物に引っかかりそうになったりするが、最後はアステアのカメラマンとハッピーエンド、という実に単純明快なご都合主義満載のストーリーで私好みである。

今はいちいち確かめられないので記憶だけで書くが、ファッション雑誌の女社長(?)を演じた女優もとてもよかった。なんというか、この時代のアメリカ映画はおいおいと思うようなことをやっていてもあまりあざとくない。『サウンド・オブ・ミュージック』になるともうかなり鼻につく部分が出てくるのだが。

パリの街、観光地、ファッションをもう手放しで礼賛しているのはすがすがしいくらいだが、実存主義哲学者たちのパロディと思われる部分は「フランス哲学」のいんちき臭さへの批判が感じられて個人的には非常に面白い。アメリカ人というのは自己認識は甘いが、フランスに対する批判は実にするどいのはなぜなんだろうとときどき可笑しく思うことがある。それだけフランスに対するコンプレックスが強いのだろうなと思う。ある意味アメリカとフランスは非常によく似ているのだが。

最後になったが、アステアのダンスはやはり最高だ。オードリーと踊っている部分はやや遠慮があって非常に冴えてるというほどではないが、一人で踊っているところや女社長と踊っているところなどは空中を踊っているようだというヘップバーンの言葉を思い出す。このときアステアはもう58歳だとあとで調べて驚いた。オードリーがサブリナでボギーと共演し、パリの恋人でアステアと共演する、というのはある種の奇跡だったんだなという気がする。この時代の俳優たちに比べれば、現代の俳優たちがやはり小粒に見えてしまう。

6時に目覚ましをかけて就寝。しかし目が覚めたら8時。9時新宿発の特急で帰省する筈だったのにこれでは間に合わない。大急ぎで支度をして出かけ、10時の特急に乗る。速い電車だったのでほとんど遅刻せずに済んでよかった。親戚の新年会、帰ってきて甥姪の相手をして先ほど自室に戻った。

電車の中で『文豪の古典力』を読む。なかなか面白い。古典を、特に源氏物語を読み、それの文章や表現の引用やら物語構造そのものの引用などに気がつくことでそこに感興を覚えるというというのが文学の楽しみ方の本道だなと改めて思う。私も源氏は谷崎訳でしか読んでいないので、やはり原文で読まないとだめだなと思わされた。しかし谷崎訳でこの物語が非常に面白いということはよくわかったので、現代語訳という杖を頼りながら原文に触れるくらいのことをしないとだめだなと思う。

古典を原文で読む、というのはなかなか達成できない。漢文だと『論語』は読んだがあとは完全に読んだのは何かあるかな。禅の書では『無門関』『臨済録』は読んだが『碧巖録』は読めていない。日本だと『古事記』『増鏡』『神皇正統記』は一応読んだ。『日本書紀』『続日本紀』は現代語訳だ。『平家』も何度か志しはしたが読了はしていない。『源氏』ははなからあきらめて谷崎訳か晶子訳かそれとも、という選択肢から始まった。

日本でも外国文学でもやはり原文を読むというのは体力も知力も必要とするもので、できれば若いうちに沢山読んでおくに越したことはないなとしみじみ思う。若いころは新書などの解説書ばかり読み、わかった気になっていたが、そんなものばかり読んでも古典の本当のよさは全くわからない。ああいうものはそこから学ぼうというものではなくて、同じように古典を読んだ他の人の意見として聞いて置けばよいことだ。とにかく古典から何かを感じるのは自分自身の力であって、人の手を借りて何かを感じるということは原則的には不可能だ。そこに行くまでの訓練としてさまざまな注釈や解説を読むのもいいが、最終的には一対一で向かい合わなければ意味がない。

文学に限らず、世界のさまざまな場所に隠れているものを自分の感性で掘り起こしてそこに感興を発見するというのが生きるということの醍醐味なのだなと思ったのだった。

箱根駅伝は亜細亜大学が優勝。びっくり。

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