福沢諭吉/「純粋経験」と「愛と誠」

Posted at 05/11/10

五時過ぎに目が覚めたのだがなかなか起きられない。だいぶ冷えている。六時過ぎに思いきって起きたが外を見ると霜が降りている。昨日の予報では松本が1℃だったから、こちらではもっと冷えていたのではないか。水は冷たいが、水道はまだ凍ってはいない。しかしそろそろ本当に冬だ。

『日本思想史入門』、福沢諭吉「学問のすすめ」、西田幾多郎「善の研究」読了。これで一冊読み終えた。しかし内容的に、当たり前だがものすごく濃い本だったので私にとって重要な読書体験のひとつになったと思う。

「学問のすすめ」。福沢諭吉という人間をどうとらえるかというのは結構難しい問題で、一万円札になるくらいだから国民的に評価されている人物だと考えていいわけだが、やはり幕末維新の「変革期」の人間という感じがする。彼も吉田松陰と同様、実に自己確信が深い。「安定期」の思想家というのは自己の存立の不安のようなものがテーマになることが多いのだが、変革期には自分自身など疑っていては世の中の動きに対処できず、当然指導的な役割を果たすことなど望むべくも無い。自己確信が深いがゆえに、重要な局面でぱっと路線を変更できるのである。

私などはこうしてぐだぐだ御託を並べているのだからどちらかというと安定期の人間だなあと思うが、三木谷・堀江・村上などの諸氏の自己確信の深さを見ているとやはりそろそろ本格的な変革期が近づいているのかもしれないとも思う。いずれにしても、安定期には安定期で自己の存在の不安、国としての存在の不安、あるいは世界の存立の不安のようなものを解消するための新しい思想が出てきて次代に備えることが多い。今われわれがやることはそういうことなのか、もはやそれは泥棒が来てから縄をなうに等しい行為なのか、そのあたりは分からない。

福沢諭吉は、基本的に東西文明の矛盾相克は感じていない、という私的は目が開かれる感じがした。実は読んでいて思ったが吉田松陰もあまり感じていないと思う。彼らにおいて日本が西欧列強に晒された危機は「文明の衝突」ではないのである。つまり、「同じ人間」という意識が非常に強いために東西の相違もそんなに深い深刻なものとは捉えられておらず、むしろその壁を乗り越えることに楽観的である。自分たちの儒教的な伝統教養についても割合無邪気に肯定しており、福沢の封建主義攻撃も、いわば意識としては体制内反体制のようなもので、儒教的・日本的倫理観自体が危うくなることは想像もしていないのだと思われる。だからこそ西欧思想の積極的な紹介・啓蒙活動に邁進できたのだという指摘は目から鱗であった。逆に後代の我々の方がその対立の深刻さを認識しているのだろう。もちろん明治後期から昭和初期にかけての深刻な文明対立感ほどではないにしても。

福沢はこの書の中で「四民同等」という言葉を使っている。「四民平等」という言葉の出典がどこなのかまだつかんでいないのだが、ほぼ同意の言葉が明治五年に出ているということは押さえておこうと思う。

この書の中で最も重要と思われる概念は「一身独立して一国独立すること」であると思うのだが、一身の独立のことを「他人の知恵に頼らず、他人の財に頼らず」ということであるといっている。そしてこの独立した個人が集まって国家を運営し、国を守り他人の独立を助けるべきである、というわけである。これは近代国家・近代市民社会においては最も正当な主張であろう。近代市民社会の成立に尽力した思想家としての福沢の重要性は確固としたものがある。

一方で福沢は自由民権を「天然の正道」といい、国権論を「権道」であるとする。しかし、「我輩は権道に従ふものなり」と宣言するように、その時々で適切であると思われる政策・方策につくことを厭わなかった。彼の中では「黄金時代」と呼ぶ人類のもっとも幸福な時代が将来に想定されているのだが、それはなかなか達成できない。学者の出来ることは社会の高所に身を安んじ、信じるものを実行して他者の見本となり、熱狂的な動きを冷却して人の動きを平均させ、世の中の矛盾を弥縫して一時の小康を得、ひそかに思想を永遠にして世界前途の進歩を待つのみである、と言っている。松陰ほどの強烈さは無いが、明治14年政変の当事者になったり、金玉均に肩入れして失敗し、「脱亜論」を著すなどの血の気の多い部分が彼にはある。やはり変革期の思想家なのだなと改めて思う。

「善の研究」。それに対して西田は安定期の思想家である。安定期に身を成り遂げるためにはそのシステムにうまく乗ることが近道でそのほかの方策は実はあまり無いのだが、西田はそのコースから外れても自分の努力と見識でなんとかなると考えて非常な苦労を重ねた人である。昔からそういう人はいたのだなあとちょっとしみじみする。彼においては「どこに生の根拠を置くのか」ということが最も重要なテーマであり、彼の思想に影響を受けた人々の中には特攻隊などで死んだ学生たちもあり、その遺書などに現われた知的誠実さに瞠目させられる。同じ世代、1920年代生まれの多くの学者や政治家、台湾の李登輝前総統らにもそうした影響を感じることがある。

西田の著作は哲学書なので簡単にまとめるのは難しいが寸描という形で。「純粋経験」というのは自他の発生する以前に経験があるという彼の思想の根本だが、これは野口裕之氏が指摘する「火を見つめる人たち」の話を思い出した。焚き火などを眺めていると、ぼおっとしてしまうということは良くあるが、つまりそのときは焚き火が自分なのか自分が焚き火を見ているのか分からなくなるような、そうした一体性がある。それを虚妄と見るという思考の出発点もあるが、それこそが真実の実在であるという出発の仕方もある。恋愛の至福の瞬間をそうした純粋体験と見ることも出来るが、それが一方的な感じ方だったりすると悲劇の幕開けになるわけで、まあこのあたりのところはちょっと難しい。

善とはなにか、という問いについては自分の意志の自己発展である、と答えていて、つまりよき意志を実現する自己実現が善である、と考えればよいかと思う。

個人と社会の関係も非常によく考えられている。「愛は自他一体の感情」「真の善は真の自己と一致する」「誠即愛、愛即誠」と来ると誠にうるわしいが、やはり見直して行かなければならない何かがここにはあると思う。「愛は地球を救う」のような単純軽薄なのりではなく、哲学的に沈思黙考した深さから愛の思想が出てきていて、そこに「誠」というやは理日本思想史上の重要な概念が絡んでくることが西田の思想の根本的な重要性であるのだろう。

と、ざあっと見渡してみた。各所でコメントをいただいた感想にもあったが、私自身として一番素直に引かれたのは「正法眼蔵」であった。やはり中世、すなわち乱世の思想は安定期とも変革期とも違う非常に世界性のある思想が生まれるのだなと思う。しかしそれだけに現実社会に生きようとする人間にとってはさすがに絵空事的に感じられるのはやむをえない。まさに引退後にじっくり付き合ってみたい思想だという感じになってしまうのだろう。

現実問題としては、やはり江戸期から近代にかけての思想をもう一段きちんと押さえることが現代の日本の思想状況にとっては重要なことではないかと思う。しかし中世思想の豊穣さを日本が持っているということは、我々として誇るべきことであり、案外そうしたものを自分の身に付けておくことが国際社会で生きる上でも役に立つ場面があるのではないかという気がする。

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