「ドンマーイン」/人を尊敬するということ/『男の嫉妬』/サハラ砂漠の風景

Posted at 05/10/20 Trackback(1)»

10月ももう20日。空気はひときわ乾燥してきているし、朝夕もだいぶ冷え込むようになった。FMからベート-ヴェンのピアノ協奏曲。ベートーヴェンというのはどうしてこんなに何を書いてもベートーベンなのだろうと思う。ピアノが躍り、弦がたたみ込む。激しいダンスを踊っているかのようだ。空は青い。関東では昨日地震があったようで、信州でも少し揺れた。関東では今日晴れているようだが、信州でも晴れている。同じ晴れでも、やはり空気も季節も違う感じがする。熱いお茶がおいしいし、茶碗のぬくもりが懐かしい。

皇后陛下が今日71歳の誕生日を迎えられるということで、文書で質問にお答えになったという。読売新聞の「複雑な胸中」という見出しはなんだかこの整理部の記者は日本語力がないのかと思わされるようなひどいものだが、お答えの中にいろいろ感動してしまうことがあった。

紀宮殿下が「ドンマーイン」とおっしゃるおっしゃりようがきっとのどかだろうなと想像するだに笑みが浮かぶし、『「贈る言葉」の質問に「その日の朝、心に浮かぶことを告げたいと思いますが、私の母がそうであったように、私も何も言えないかもしれません」とつづられた。』ということばには、なんだか言葉にしようがない感動を覚えた。宮中に嫁いでこられて40年以上、ご苦労も多かったと思うが、われわれはこのような方を皇后陛下に仰ぎ奉ることが出来て、本当に幸運であると思う。皇后陛下は拉致事件のとき、またさまざまな巡幸啓などのおりの発言やお歌にかなり明確な、そして毅然としたご意志を示されることが多く、その点でも尊敬申し上げるのだが、こうした日本の母としか言いようがないご発言にも多くのことを感じさせていただける。末永いご健康とご長寿を祈らずにはいられない。

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昨日は仕事の準備をし、ラテン語の勉強をし、山本博文『男の嫉妬』を読了し、夜は仕事をしつつ文章をひとつあげる。ラテン語は今までのところの復習をしているのだが、この復習のプロセスをどのようにはさんでいくかが学習というものの要諦のひとつだなと思う。私はまあ、何をやるにも技術的には不器用というか、要領の悪いところが多いなといつも思うのだが、そういうものを具体的に乗り越えていく道が見えたときはとてもうれしい。どうしても直線的な、シンプルな方法を求めてしまうところがあるのだが、自分の人生を振り返ってみるとあんまりシンプルではないし、結局は重層性を持ったものに成っていて、そういう人生を支え得るのはやはり重層性を持った学習体験ではないかと思ってみたりする。

今朝も、芝居をやっていたころの身体訓練の練習法のひとつを思い出していたが、両手を顔の前から下に向かって全ての指をよく開くように臍のあたりまで持っていき声を出しながら息を吐ききることで丹田に気が集中する方法などはよく出来ているなということに気がついた。この練習方法を考えついた人は天才だなと思ったが、そう言えば彼が先達に誉められて嬉しがっていたことを思い出し、あのころはなんだか誉められて名誉心が満足させられた、というように見えていたのが、本当に尊敬する人に誉められて素直に嬉しかったのだなと言うことがはじめて見えてきた。あのころの自分は本当に素直でなかったし、誰も尊敬していなかったし、誰も信頼していなかったのだなとしみじみ思う。最後に頼りになるのは自分だけ、という思いが強すぎて、人の言うことを素直に聞けなかった。それでも自然に周りに人がいたから、本当に孤独になることもなく、なんとなく無為に過ごしていたのだと思う。しかし、今思うとその期間に得たものは本当に多いのだなと思う。

その後いくたりかの挫折を経て、結局自分さえも信用できなくなったとき、自分にはなにも残っていないということに気がつく。自分だけが残ればそれは孤独と呼べるかもしれないが、自分さえ残っていないということになると、なんだか空虚である。その空虚に「ことば」がやってきたのが「詩」なのだなと思う。まあしかし、自分も空虚になってみると、まあ周りが偉く見えるという啄木状態にはなるが、そのなかでも本当に優れていると思うのは、やはり自分の道を行っている人で、そうした人々を改めて見出していくというプロセスが現在進行中なのだと思う。崩れた自己の再構築はまだまだ途上だが、逆に肉体が20代に比べると衰えてきたことで、いろいろなことを感じやすくなっているという面もあり、年齢に応じてしか感じ取れないことも多いなと実感する。

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『男の嫉妬』読了。最初はいろいろな疑問を感じつつ読んでいたのでなかなか前に進まなかったが、まあこういう切り口の本だということがだんだん理解されてきたので飲み込みやすくなった。しかし最近、歴史や文学でも現代人の矮小化された人格を投影したような研究が目に付くようになってきたのはいいことなのか悪いことなのかよくわからない。

この本は、総体として、日本の男の嫉妬というものを江戸期の武士を事例に使ってうまく説明しているとは思う。「男の嫉妬」というものをテーマにすること自体、今まであまりなかっただろう。これもまあ、西欧の80年代ぐらいからの歴史学の流れにマンタリテ(メンタリティ、心性)を研究するというものがあり、それを日本史の研究に導入したといえる面もある。フランス革命などでそれがなされていてもそんなものかというくらいにしか思わなかったのだが、日本史でそれをやられると相当「イタイ」研究方法だということがよくわかった。つまりまあ、言いたいことはわからないではないが、嫉妬のみから江戸期の武士社会を語るのもいかがなものかと感じてしまうということである。先駆的な性格があるから少々強調し過ぎなのはいたし方がないのかもしれないが。

特に『葉隠』の作者の山本常朝についてはちょっと評価が低すぎる気がした。漱石や鴎外、あるいはオースチンなどをテキスト分析をして「こんなにヒドイ人格だ」と嘲笑しているようにみえる文芸評論があるが、その手のものと似ている気がする。『葉隠』はやはり武士道研究の基本文献であると思うし、もう少し全体像を示した上で批判するべきではないかと感じた。

しかし、読んでいるうちに納得して来たのは、日本が『男の嫉妬』を容認する、それに非常に寛容である社会だということである。私自身がそういうものが苦手なので、あまりそういう自覚がなかったのである。著者の言うには、男の嫉妬は必ず正義・正論という形を取って表明される。それだけに正面切ってはその嫉妬を批判しにくいことが多い。いかに自己中心的な正義であっても、当人にとってはそれが正義だ、ということで主張されるので、逆に強く否定すれば強い反発を招くということもあろう。私はそういうことに鈍感だし嫌いなので逆になるほどなと面白く感じるところもあるが、まあそういう記述ばかり読んでくると不愉快なものが降り積もってくることは仕方がない。出る杭は打たれる、とよく言うが、日本は本質的に平等志向の社会(「平等な社会」ではなく)なので、頭をもたげるものは叩くのが原則なのだということだろう。打たれないためには出る杭でなく一頭地を抜く出すぎた杭になるしかないが、そうなればなったでまた新しい地平の同等者たちとどんぐりの背比べになったりする。

しかし恐らくは、日本も本当に上の方になると、政治の世界(と学術の世界?)をのぞいてはそんなに杭の叩き合いばかりではないのだろう。ある意味さわやかな人も多い。国際社会ではまた近隣諸国に人の足を引っ張ったり少しでも日本より上位に立とうとする国々があるが、少なくとも世界全体としては嫉妬に対して日本国内ほどは寛容ではないような気がする。日本文化というものが、その嫉妬というものを含めた人間性と正面から向き合うという構造によって成り立っていると言う面は確かにあるのだろうな。ちょっと苦手だが、そのあたりのことも考えてみたいと思う。

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実家でBS2をつけたらまた『心の旅』をやっていた。今日は文明学者の森本哲郎がサハラ砂漠の伝説的な都市・トンブクトゥを訪ねる旅。実は今まで映像でもトンブクトゥは見たことがなかったので、非常に興味深かった。黄金の値段を下げたといわれるくらい金をばら撒いたマリ帝国のマンサ・ムーサの都が実態は「泥の都市」だったというのはへえぇという感じだ。ニジェール河畔にありサハラへの入り口の都市だから、今でも駱駝のキャラバンを組んだ砂漠の民・トゥアレグ族がマリ北部の山岳地帯から岩塩を二週間以上かけて運んでくるのだという。現代でも、岩塩のようなものを砂漠で大量輸送するには駱駝に勝るものはない、というのはへええという感じである。

森本氏が旧知のアリー氏と再会するところも興味深かった。三年ほど前、トゥアレグがマリ政府に反乱を起こし、アリー氏も砂漠に隠れていて、山羊や駱駝などの財産をほとんど失ってしまったらしい。彼の娘たちもご主人をなくしてアリー氏のところに身を寄せているのだという。トゥアレグ族はみな青いマントのような衣装を身にまとっているが、あれはどんな布でどういう染色をしているのだろうかと、非常に興味を引かれた。

草木ひとつない砂漠の風景は確かに魅力的だ。多分私も、砂漠の真中にいたらしばらくぼおっと砂と空だけの風景を眺めているだろう。焚き火の炎を見るように、また海を見るように、ある種の風景には人をぼおっとさせるものがある。そのときの自分が本当の自分だ、という言葉があったが、そういうときこそが、人は無意識に本当の自分自身と向かい合っているのかもしれない。

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by Luke Peterson

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