日向神話/『神秘家列伝』/李登輝前台湾総統と聖書

Posted at 05/07/10

金曜の夜に帰京。

昨日は以前買った梅原猛『天皇家のふるさと日向をゆく』(新潮文庫)を読了。最初は、梅原先生のタワゴトもたまにはいいかなと思って読み始めたのだが、どうしてどうして面白い。天孫降臨から神武東征までの日向三代、すなわちニニギノミコト、ヒコホデリノミコト、ウガヤフキアへズノミコトの時代にかかわる日向神話を、そんなにじっくりと読んだり考察したことはなかったのだが、実に豊かなものだということが分かり、認識を新たにした。

伝承として伝えられているもの、郷土史家の人々の証言・著述などをきちんと自分の考察と分けて記すという最低限のルールが守られているので、かなり安心して読める。ただ本質的に、魏志倭人伝の独自の「読み」で邪馬台国はウチだ、とやるような議論とどのくらい差があるのかはちょっとなんとも言えないが、何もかも白々したものにしてしまう現代の史学の考察に見られがちな傾向に比べれば「なんぼかまし」な部分もあるような気がする。

高千穂・西都原・霧島、それぞれに非常に魅力的で、まだ行ったことのない県として青森県とともに二つだけ残っている宮崎県に、ぜひとも一度行ってみたいという思いを抱いた。

午後遅く、神田に出かける。何軒か物色するが何も買わず。地方出版の店に入って宮崎県関係の本を探すが、梅原の本にも出てくる西都原古墳研究所所長の日高正晴氏の著作もあってしばらく立ち読みした。

その後スヰートポーヅをのぞくと珍しくすいている。中皿ライスを注文してものが来るまで店のいわれや壁にかけてある「親父の小言」の額、品書きなどを見る。最初にここに来たのは大学2年の年だったか。そうなるともう23年も前である。あの時この店を教えてくれた女性とは、しばらくして全く音信普通になってしまったが、今考えると今の自分から最も遠いところにいるのではないかとつらつら考えたりする。彼女に近いところの人生をもし歩んでいたら自分はどういうことになっているのかと思ってみたのだが、なんだかその想像は物語りじみていてあまり現実味がなかった。大学時代のことは不思議な邂逅だと思えることが多いのだが、その後につながる関係もあり、全くそのときだけの関係もある。昔の人間は四辻を魔と邂逅する場所として恐れたというが、われわれのころの大学という場所はそういう一面があったような気がする。今の大学はどうなのだろうか。

そういえば、スヰートポーヅに入る前に東京堂で史学雑誌の回顧と展望号に目を通したら、国立大学の法人化によって歴史学のような「収益性のない」人文学の分野にかなりしわ寄せが来て予算が付きにくくなっている、というようなことが書いてあった。それはそれで確かに大変なことだろうとは思うのだが、いろいろな本や論文を読んでいると、どう考えても国家に保護された大学の制度に安住している、もっと強く言えば寄生しているとしか思えないような学者も多いと思うことが多い。本当に生命力のある研究が、いったいどのくらいなされているのだろうと思う。そういう意味では日本の人文学も一度国家というパトロンが消滅して大崩壊を起こし、そこから再生する必要があるのではないかと物騒なことも想像する。死と再生の幻想(イリュージョン)が浮かんでくるのはロンドン爆破テロの影響かもしれないが、911のときはその手の幻想は自分の中であまりなかった。アメリカには旧大陸のような死と再生の重層的な歴史がないのでそういう幻想を呼び起こす余地もなかったのかもしれない。

小雨が降り出した中、神保町駅に飛び込み、永田町で乗り換えて六本木一丁目へ。泉ガーデンの書原に行く。一通り物色して石川九楊『縦に書け!』(祥伝社)と水木しげる『神秘家列伝』其ノ弐(角川ソフィア文庫)を買うことに。『神秘家列伝』のページが少し折れているのが気になり、取り替えようと下に積まれていたのを見たら「其ノ参」を見つけてしまった。木乃伊取りが木乃伊で、結局三冊購入。

今朝は日曜朝の政治番組をいろいろ見ながら「神秘家列伝」を読む。石原慎太郎も面白かったが田中康夫も時々面白いことを言っていた。ロンドンのテロに関してはいろいろ意見が違うのが出ていてこれも結構面白い。ぜんぜん箸にも棒にもかからないことを言う人もいるが、盗人にも三分の理という言葉があるように、どんなばかげたことを言う人にもちょっとは面白いところがある。その部分を面白がったりそこから学んだりしておけばよいことで、あとはほっとけばよいということだなと最近思うようになった。梅原氏も自分の戦争体験のうらみつらみなどを語りだす部分になるとまたかよという感じでどうでもいいと思ってしまうが、彼のなんと言うか面白いものを見つけ出す能力というのは相当優れていると思った。それは水木しげるも同じである。

神秘家列伝に取り上げられているのは弐が安倍晴明、長南年恵、コナン・ドイル、宮武外骨で、参が出口王仁三郎、役小角、井上円了、平田篤胤である。イギリスのスピリチュアリズムの祖・ドイルを除いてはみな日本人で、壱に比べると人選が普通化してはいるが、長南年恵という人は全然知らなかったのでちょっと面白かった。井上円了はあの哲学堂を作った人だと知ってある意味すごいと思ったが、彼自身はむしろ反神秘家であって、ちょっと謎である。しかしマルクス主義に熱心に反論する人が実はものすごくマルクスの著作を読み込んでいたりするのと同様、妖怪変化などを非常によく研究しているところが水木氏が面白いと思ったのだろう。そのほかの人もあまり知らない部分が多かったので、読んでいて非常に面白かった。しかし宮武外骨は人間としては面白いが全然神秘的なところと関係ないのになぜ取り上げているのか少々不思議であった。

少し前に読んでいた美輪明宏と瀬戸内寂聴の対談もこういう目に見えないものの世界を扱っていたし、なぜ最近こういうものを読むんだろうと思ってみたが、それは久しぶりにナルニアを全部読み返したからかもしれないと思った。目に見えない大事なものを感じる力、ということについて考えているからかもしれない。実際世界は、イスラム教にしろキリスト教にしろ、われわれにとってはわかりにくい、目に見えないもののレベルで動いているところが多分にある。われわれはわれわれ自身の中にあるそういうものの世界に無関心でいるけれども、そういうものにある程度関心がなければ、世界で起こっていることに深いレベルでの理解をすることも実は不可能なのではないかということも思う。

今朝テレビ埼玉を見ていたら偶然台湾の李登輝前総統が「キリストの幕屋」という宗教団体の提供している番組に出て語っていて、自分が総統だった時代にどんな苦労があったか、それをどのように解決していったかというようなことについて語っていた。著作やあるいは対談本などで何度も李氏の発言については触れていたが、テレビで喋っているところを見るのは初めてだった。彼は本当にニヒリズムというものが巣食っていない情熱的な老政治家だと改めて目を見開かされたが、彼は困難な状況に陥ると、夫人と二人で聖書を開き、ぱっと開けたページのぱっと指差したところを熟読して、そこからヒントを得る、というようなことをよくやったといっていた。

これは実際よくわかる。彼は聖書を人生の指針としている、ということの現れであるが、聖書でなくてもこれは応用が可能だろう。私もよく易を立てるが、易で出た文句を熟読することによってそこからヒントを得る、ということにおいて構造は同じである。易の方が手続きが複雑だから神秘的な装いがあるだけで、いずれ信頼できる人生の指針のようなことに満ちた本であれば、別にカントのページを開いてえいっと指差してみてもいいのだし、場合によってはレーニン全集でえいっとやっても同じことだろう。ある状況にあってある文章を読むということは、何のバイアスもない余裕のある状態で何かを読むときとは根本的に違っている。そこである指針を見出すことに、実はそんなに神秘性はないのではないかという気がする。場合によっては広辞苑を開いてえいっとやったって同じことである。

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