9.今心に響く本/「上宮聖徳法王帝説」(09/22 11:11)


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<画像:女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書)>
女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書) [新書]
大塚 ひかり
新潮社
2017-09-14



そしてつい数日前に読んだのが大塚ひかり「女系図でみる驚きの日本史」だったのだが、これは「女性と婚姻関係を中心とした系図を書いてみることで歴史の違う側面が見えてくる」という方法的な提案を含んだ一般書で、そのあたりが非常に刺激的だった。

岩波書店
1941-02-14



そしてこの書の中でも触れられていたのが聖徳太子だ。聖徳太子については近年「いなかった」説などが出ていることもあり、そうしたやや政治的な面を含む(含まざるを得ない)動きが気になっていたこともあり、気が付いた時に関連書籍を読むようにはしていたのだが、聖徳太子の根本的な伝記である「上宮聖徳法皇帝説」が岩波文庫で出ているのに気づいて、アマゾンで取り寄せて読んでみることにしたのだ。

読み始めてみるとこれは面白い。校注は木簡や金石文の研究で知られる東野治之氏で、その中の指摘にもうなずかされたりなるほどと思ったりするものが多い。

今まで読んだのは45ページまで、この本の分類によるとA太子の系譜とB太子の事績の部分。原文(漢文)で言えばわずか6ページ分なのだが、いちいち色々考えながら読んでいる。聖徳太子は仏教に造詣が深かったことはよく知られているが、自分でも「三経義蔬」など仏教書も著しているだけでなく、推古天皇への講義なども行なっている。推古天皇に講義したのは「勝鬘経」というものだが、これは女性が主人公の経典で釈迦の教えを説いていて、その勝鬘という貴婦人をつまりは推古天皇になぞらえて講義したわけで、まさに「人を見て法を説け」の典型例だなと思えて面白いなと思った。

もう一つそうなのか、と思ったのが「上宮王家」の行く末に関しての校注。よく知られている歴史では、聖徳太子が亡くなり、推古天皇も亡くなった後、皇位は田村皇子と聖徳太子の嫡子・山背大兄王の間で争われたが山背大兄王は行為につくことなく、最終的に蘇我氏に攻められて一族全てが全滅した、わけだが、校注では「上宮王家の全滅ということ自体、伝説の域を出ないであろう」とあり、これもまたそんな説があるのかと驚いた。つまり、上宮王家、聖徳太子の子孫の中にものちの時代まで生き残ったと思われる人がいるということのようで、それは意外な話だった。


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