9.内藤正典さんの「となりのイスラム」を読んだ。西欧近代思想とイスラムの思想は「根本的に相容れない」が「共存することは十分可能」だということが重要なのだなと。(09/10 11:28)


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これは、西欧においてその主張が全く受け入れられて来なかったという著者の苦い思いもまた感じさせるわけだが、逆にいえば西欧近代を相対化して見やすい立場にいる我々日本人には、「西欧近代思想とイスラムの思想は「根本的に相容れない」が「共存することは十分可能」だ」ということを理解してほしい、という強い思いを感じた。

そして、この「根本的に相容れない」ことと「共存することは十分可能」だということは、両方極めて重要なことだ、という主張だ。

日本人は、まあ日本人だけではないが、「基本的に相容れない」のならば排除するしかない、あるいは相手を殲滅するしかない、みたいに考える人が多く、またそういう不寛容な人は特に最近は増えてきているように思うが、もちろんそんなことはない。例えば各家庭の考え方は違っても、お互いに領分を守ることによって不要な摩擦を招かない、ということは普遍的にあることだ。ただ、西欧近代は自らの進歩主義だけを唯一絶対の真理と捉える傾向が強く、そのほかの論理を認めないところがある。しかしそれはそれこそが原理主義であって、その行き過ぎが対立と戦争を招いてきたことから、宗教対立に関しては世俗主義の原則が17世紀以降確立してきた。

また常識的なイスラム教徒はイスラム国家でない国でイスラム教徒でない人にイスラムの戒律を強制するようなことはない、と主張する。そこは、イスラム教徒とはこういう人だ、という説明につながるが、例えば映画「最強のふたり」の登場人物や自分がトルコで依頼している運転手の例を挙げて、説明を強化している。

だから共存することは、お互いに十分可能なのだが、現実にはそうなっていないのは、西欧近代の側が「根本的に相容れない」ことを認めず、「イスラムの側が西欧近代の個人主義的人間観に基づく社会観・人間観とそれによる社会規範を絶対に受け入れなければならない」と主張することにある、とする。

つまり、イスラム教徒である限り受け入れ不可能なことを西欧近代の側が押し付けようとすることに根本的な問題がある、というわけだ。

これは女性のスカーフの問題や預言者ムハンマドの侮辱に関する問題で、つまりフランスで端的に表れている。まあ、それについては西欧の側も、ムスリムが受け入れ可能かどうかなど考えていない。問答無用だ。そうなればムスリムの側も自然強く抵抗せざるを得なくなる。だから大事なのは「西欧近代とイスラムの思想は根本的に相容れない」ことを認め、お互いに譲り合うことがなければこの問題は解決しない、というのが筆者の重要な主張の一つになる。

ということはつまりウェストファリア条約における世俗主義の原則のような西欧近代とムスリムの側の妥協・取引をどうにかして成り立たせることが一つの急務ということになるだろう。状況を見ているとなかなか難しそうではあるが。

もちろん、イスラムも世界性のある宗教なので、本来世界は全てダールアルイスラーム(イスラームの家、イスラム世界)であるべきであり、その中心となる「カリフ」が必要だ、ということになる。そしてイスラーム国家はダールアルハルプ(戦争の家、まだイスラム化されていない世界)に対しジハードを持って世界を真に平和な世界にしていかなければならないという思想は当然ある。

この辺は西欧近代の普遍主義と同じことで、またいわゆる中華思想も世界に「王化を及ぼす」という考え方はあるから、普遍主義的な思想、ないしは一神教的な思想には必ずそういうものがある、ということは、日本では昔からよく論じられてきた。まあ多神教的な文化基盤を持つ日本だからこそ認めやすい考え方というのはあるわけで、それを日本が(国家がとは限らない、個人の日本人思想家だっていい)イスラムと西欧近代の仲裁を取り持つことはありえないことではない。

しかし現状の問題は、結局領域国民国家によって支配されている現在のイスラム世界では、本来のイスラム教徒の生活は実現が難しく、領域国民国家の思想=西欧近代の主権国家思想の論理が優先され、ムスリム同胞団などの「イスラム的生活の実践」を求める集団も原理主義=テロリストのレッテルを貼られて弾圧されるという悲惨なことになっていると著者は言う。イスラム世界にとっての問題の一つはこの国民国家システムにあると言うことは内藤さんだけでなく池内恵さん、中田考さんなども言っていたが、それはそれで納得できる考え方だと思う。

そして西欧諸国におけるイスラムへの無理解と差別、またイスラム諸国におけるイスラム実践の困難さなどが、原理主義から過激化への動きに繋がっていると著者は言う。この辺りは当然いろいろな論者の主張するところでもある。

西欧諸国のイスラム批判の強まりは、おそらくはイスラムの思想の根本にジハードの思想、つまりイスラム以外の宗教・生き方を排除する非寛容の思想があることをその論拠にしているわけだが、しかしそれはどっちもどっちで、西欧諸国自体がムスリムの思想にどれだけ非寛容であったかと言うことに気がついていない、決して認めないところに問題の根深さがある。


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