9.内藤正典さんの「となりのイスラム」を読んだ。西欧近代思想とイスラムの思想は「根本的に相容れない」が「共存することは十分可能」だということが重要なのだなと。(09/10 11:28)


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この本は昨年のうちに興味があって買ってあったのだが、ちょっと突っ込んだ本を読めるような精神状態でない時期が続いたのでしばらく放置していて、つい数日前に本棚で目にして今こそ読む時なのではないかと思い、手に取ったのだが、大変良い本だった。

この本は、イスラムの専門家である内藤さんが、切実な強い思いを持って、なおかつ周到に、そして読者に対し啓蒙するという上から目線を感じさせず、それでもただごとでない重要さを読者の心に響かせる、とても素晴らしい本だと思った。啓蒙書というものはやはりどうしても説教臭があるのだけど、この本には説教臭の代わりの切実さがある。著者の伝えなければならないという思いが、読者に読まなければならない、伝えられなければならないという思いを呼び起こす、啓蒙書の本当の意味でのあるべき姿を感じさせる一冊だったと思う。

日本においてイスラムは理解されていない。これはイスラム諸国、あるいはイスラム教徒との交渉の歴史が浅いということが一番大きいが、日本の外国との交渉が明治以前は主に中国と、明治以降は主に西欧諸国と、戦後は主にアメリカと、というふうに偏ってきて、イスラムは彼らに取っても他者だから、その他者としての描写を日本人はそのまま受け入れてきた部分が大きいように思う。

私自身がイスラムというものを初めて学ぶべき対象として認識したのは高校2年で世界史で学んだ時だ。それ以前も歴史に興味を持っていた(主に日本史、中国史)から、歴史地図に「サラセン帝国」があるのは知っていたが、名前だけだった。世界史ではマホメットという名前や「コーランか剣か」という言葉やマムルークという奴隷が軍人になってるとかまずはそういう知識からだった。

受験の頃はシルクロードへの憧れのようなものがあって、中央アジアやビザンツ帝国についての本を読んだりしていたのだけど、大学に入ってからはそういう講座もなく主に本で読んでいる一方、イスラムについては板垣雄三先生の授業があり、それからも佐藤次高先生や山之内昌之先生の授業に出て、専攻ではなかったがそれなりに勉強し、また「イスラムハンドブック」など当時ようやく少しずつ出てきていたイスラムを勉強するための資料なども買ったりしていた。またアラビア語も片倉もと子さんの本で少し勉強してみようと思ったが、これは一瞬で挫折したが、ただ母音が3種類しかなく文字では子音しか表記されないとか、そういうことは知った。

そういうわけで私のイスラム知識は基本的に授業で聞いた知識と本の中の知識だけだった。大学の同級生の中には板垣先生について最終的にシリアの研究者になった人もいるが、私はイスラムに関し関心は持っていたがそれ以後専門的に勉強することはなかった。

その後は教職についたりしてイスラムについて人に教えたりする機会もあったが、大抵はその程度のことでも学生はもちろん一般の人たちも知らなかったから、イスラムというのはこういう宗教だ、とかこういう人たちだ、みたいなことを教えたりすることもあった。学習した当時はすでにムスリム同胞団もあったのでそれについても多少は学習しており、イスラム原理主義についても一片の知識はあったので、原理主義の運動などについても自分なりに理解したつもりになっていた。

様子が変わってきたのは90年代後半、アルカイダが出てきた頃で、特に2001年の911テロはやはり衝撃だった。彼らはイスラム原理主義という言葉だけでは片付けられない、「過激派」というべき存在だと認識するようになっていったが、それでも原理主義との区別はどうつけたらいいのか、迷う場面も増えてきた。というか現実問題として各国政府は意図的に原理主義者と過激派=テロリストを混同して扱うケースが多く、そのあたりも問題に感じるようになってきていた。

その頃から報道は日本語だけに限らずなるべく読むようにしていたが、そうなってみると基礎知識がイスラム世界の現状を理解するには圧倒的に欠けているところがあるということに気づかざるをえないようになってきていた。

しかし、そのあたりを包括的に説明した読みやすい入門書・啓蒙書の類はなかなかなくて、自分の古びた80年代の知識を運用しつつなかなか整合しない現状の報道と合わせながらウィキペディア等の記述も援用しつつイスラム世界の現状を理解するように努める、という状況が長い間続いていた。もちろん私にとってイスラムは専門ではないし、また現実的に身近にイスラム教徒がいるわけでもないのでイスラムについて学ぶことは優先事項ではないので、中途半端な状態が続いていた感があった。

この本を読み始めて最初に感じたのは、まず切実さ、真剣さだった。まずは多くの人に広くイスラム教とイスラム教徒=ムスリムについて知ってほしい、という切実な思いだった。我々は日本の伝統的な意識の上に西欧近代思想を乗せて、それを一応のグローバルスタンダードだという認識を持って生きているが、ムスリムにとってはそうではない、イスラムの考え方と西欧の近代主義は根本的なところで相容れないし、それをお互いに許容し合うことが大事なのだと理解してほしい、という思いの切実さだった。


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