8.こうの史代原作・片渕須直監督作品「この世界の片隅に」を観た。(11/29 13:10)


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そして、私の中でトラウマになっていたのは、私にとってこの作品が「姪と右手を失い、戦災孤児を得る死と再生の物語」だったからなのだが、この作品はそう言う部分だけでなく、もっとそれを包む日常のふんわり感というか、そういうものがあることを思い出瀬田のがよかったと思う。ちょっと調べてみるとこの戦災孤児には絵コンテで「ヨーコ」と名がつけられているということで、この子が成長して行く様がエンドロールで描かれて、そこに救いの要素が大きくなったなと思った。

私は最後の場面で周作が「呉」の地名の由来をすずとヨーコに説明するところが好きで、ああこれは「国褒め」だ、と思ったし、その前の場面ですずが周作に「呉はうちの選んだ居場所ですけえ」という場面で、何か十分物語は終わったと思った。それに、その前の広島での場面で「周作さんありがとう。この世界の片隅でうちを見つけてくれてありがとう周作さん」と言っているし、リンとの経緯も含めて、全てを呑み込んで生きて行く気持ちになったことが、救いそのものだと思っていた。

だから、「ヨーコの成長」まで描くのはちょっと蛇足のような気がしなくもなかったのだけど、片渕監督のインタビューを読んで、そこまでしないと行けない、多分そう言う、「今(2016年)と言う時代の空気」があるんだろうなあと思った。私も、「君の名は。」では、ラストで絶対二人は再会してほしいと思ったし、それが叶って凄く安心したから、多分現代のように無意識の不安が強い時代には、蛇足とも思えるような安心感が必要なんだろうなあと思った。

さて、やはりここで書かなければいけないのは、白木リンの存在が映画では相当小さいものになってしまったこと。これはいろいろ考えたのだけど、考えたところをいろいろ書いてみたい。

最初に思ったのは、すずの「純粋性」をラスト近くの衝撃まで取って置くためなのだろうということ。リンと周作の過去についてあれこれ気をもむことで、「純粋性」はどうしても薄れる。それを出さずに最後の衝撃に初めてすずの強度の動揺を持って行ったのは、それがのんさんの声にも合っていたし、戦争という暴力への神話的な怒りを強調するためにはよかったと思う。

ただ、やはり原作であれだけ大きな存在で、すずに「敵わない」と思わせたリンがあの扱いであるのは、やっぱりちょっとリンが浮かばれない感じがする。そして、「周作の過去」であるリンと、セットの意味で「すずの幼馴染み」である水原の位置付けも、ちょっと突出してしまう感があったのはやや残念だった。水原は海軍の乗組員であることから戦争というテーマにもつながるということもあったのだろうけど、周作とすずの人間の陰影というものがこの件がカットされたことで少し霞んでしまったことは残念だった。ただ、「のん」の神話性を高めるためには、大成功だったとは思う。

だから、最終的には尺の問題でどこかを切らなければ行けなかったからその大胆さにおいてリンの扱いは成功だったのだろうと思うのだけど、周作の人間性がなんだかひょろいだけの、我のない感じになってしまって魅力が減ってしまったのは残念だった。

リンのくだりでは、子どもが出来ないと悩むすずに遊女のリンが「子どもがおったら支えになるし、困りゃあ売れるしね!」と朗らかに言って「なんか悩むんがあほらしうなってきた」と毒気を抜かれる場面があって、まあ子どもも見るアニメ映画にはしにくいだろうけど(外国映画ならしそうだが)、物語全体にもっと華が出ただろうなと思う。

そのおかげですずがちょっと「聖女」になり過ぎたと言う意見も聞いた。こうの史代さんの作品の登場人物は、ただ「いい人」なだけでないところがとても魅力的なのだけど、その「でない」部分が捨象されて語られることが多くて、何というか歯痒いのも事実なので、そう言う意味でもちょっと残念だったかもしれない。

上巻は聖女で良かったんだと思う。ラストも周作とのキスシーンで終わっていたし。もし出来れば、映画も上中下と三編に分けて作れたら良かっただろうなと思う。「1900年」とか「風と共に去りぬ」みたいなサイズになりそうだけど。

この作品を見てからKindleでダウンロードして原作を読み直し、「ユリイカ」の特集と「アートブック」を買って読んだり、ネットでさまざまな情報に当たったりしたのだけど、ユリイカのインタビューで「他人同士、特に男と女は絶対に理解しあえないという前提で書いてます」と答えている。本当にそれはいつも読んでいて感じるのだけど、でもそこが優しいのだと、私などは思う。人は深淵を抱えつつ、決して理解しあえず、でもいたわりあい、強く生きることは出来る。

ようやく最初に読んだときの本を見つけ出し、手に取ってみて、最初に読んだ時の感じがまざまざと蘇ってきた。やはり現物の持つ記憶は違う。この本は、思わぬところに深淵が口を開けている、とても怖い本なのだ。その理由は、やはりこうのさん自身の人間の信じられなさというかそういうものにあるのだろう。


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