8.西川賢「ビル・クリントン」を読んだ。面白くてためになり、アメリカの来た道が理解できたとともに日本の現状を理解する上でもとても示唆的だった。(08/12 11:37)


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西川賢「ビル・クリントン」(中公新書)を読んだ。

西川 賢
中央公論新社
2016-07-20

 

1992年の大統領選挙で当選し、1993年年初から2001年の年初まで大統領を務めたビル・クリントンの時代は、冷戦の終了から21世紀の始まりまでの時期、1990年代の空気というものを体現していて、私が個人的な理由で何度かアメリカに行っていてもこの時代だったので、私の中のアメリカの雰囲気と言うと彼の時代になる。

最後はモニカ・ルインスキ?事件などスキャンダルの続出であまり道徳的でない大統領という印象が強く残ったけれども、彼の時代はアメリカの経済が好調で、政権初期に行った財政再建策が奏功してアメリカを繁栄させたことは、ちょうど日本が凋落し失われた20年と言われた時代の前半になっただけにそのコントラストの強さを思う。

この本を読んで特に印象に残ったことは、当たり前のことなのだけど、政府は何でも出来るわけではないということ。アメリカ大統領はまあ間違いなく世界最大の権力者であると言えるけれども、特に政権初期は大統領の職務に精通しているわけではなく、思いがけない不手際などもよくある。

日本の政治ではパターナリズムが強いので、「政治がやる気になって動いてくれれば何とかなる」という期待があるし、逆にいえば「今うまくいっていないのは政治のせいだ」とみなが思いやすい。公と私の領域の境が、日本の場合はとても私に近いところにあり、かなりの部分まで政治が何とかすべきだと思っている人が多いように感じた。

しかしアメリカという国は基本的に個人主義が強い、個人主義が強いということは自分の身は自分で守るし自分のやることに政府に口出しをされたくないという気風が強い。だから特に、自分の身を守ること、たとえば銃を所持する権利・その自由などは、絶対に奪われたくないと感じている人が多いし、医療保険についても自分の身は自分で守るべきで、他者の身を守るために自分の税金が使われることは理不尽だと感じる、ということになる。このあたりは何が正しいとか間違っているとかではなく、日本はそう言う気風の国であり、アメリカはそう言う国の気風なのだと思っておいた方がいいと思う。
しかし大事なことは、政治は何でも出来るわけではないということで、これはアメリカだろうと日本だろうと同じことなのだ。左翼の人は無意識に政治は何でも出来ると考えている人が多いように思うが、政治が出来るのは政治の領域のことだけなのだ。一度政治が動き出したらものすごい力が働くから、それを感じたことがある人は政治は万能だと錯覚してしまうこともあるだろうなと思うけれども。政治が何でも出来ると考えるのは敢えて言えば「政治に甘えている」ということであり、「国家が何をしてくれるかではなく自分が国家に何を出来るかを問いたまえ」というJFケネディの演説の意味もそこにある。政治は基本的に調整機能であり、利害調整や国家国民の保護、国民経済の繁栄などのために政策を打つもので、何でもやってくれるものではない。当たり前のことだが、この本を読んでそのことを改めて強く感じた。

この本はまずクリントンの生い立ちから書いていて、このあたりのクリントンの成長期の苦労の多さは彼の女性関係の幅広さなどに関係していると思わざるを得ない感じがするし、彼は自分のことを「アダルトチルドレンだった」と告白していたことを思い出す。しかし、逆に言えばその逆境を乗り越えて大統領にまでのし上がったそのタフさは驚くべきものだと言うべきだろう。その逆境、トラブルからの回復力を英語で「resilience」と言うそうだが、確かに彼はアメリカ大統領で最もそれが強かった人かもしれない。


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