午後は日本橋に出掛け、そのあと八重洲口の三省堂や丸の内の丸善にも行ったのだが、三省堂でプーラン・ネランク「フランス料理の歴史」(角川ソフィア文庫)、丸善で押切蓮介「狭い世界のアイデンティティー」1巻(講談社モーニングKC)を買った。
ジャン=ピエール・プーラン
KADOKAWA
2017-03-25
「フランス料理の歴史」は人類が火を使った調理を始めた歴史、またギリシャやローマ時代のエピソード(特にネロ帝時代のアピキウスについて)にも言及した後、中世後期(14世紀末)のタイユヴァンが残したルセット(メニューと言っていいか)、シャルル6世の食卓に供されたそれから詳述が始まっている。(シャルル6世はジャンヌ・ダルクが即位させたことで知られるシャルル7世の父であり、百年戦争さなかの王)
印象に残ったのは、家長が食卓に供せられた肉を切り分ける、といううだり。肉を切り分けるの(デクパージュ)はヨーロッパでは家長の役目だ、ということは聞いてはいたが、どうもそれは権力の誇示という意味があるようだ。ナイフは自分が保持している長剣を用いたとのことで、つまり武器と食器を共用していたのだと。そして食事の価値をあげるために招待した高貴な客には、客自身に切り分けさせることによって、優れた剣の使い手であることを伺わせ、社会的地位を勝ち取る資質を見せつけ演出する手段であった、というわけだ。
肉を切り分けるのと剣の使い手であることがどう関係あるのか、そういう文化がない日本人の私としては「そんなものですか」というしかない。武士が自分の魂とされる刀で肉を切り分けるとか、想像もできないし。まあ、戦国時代とかならあったのかな、そういうことも、という感じではあるが、何だか野蛮な感じがする。
まあ、そういうわけでそういう起源説話を読んでも、男が肉を切り分けると言う慣習にはちょっとなじめないものがあるなあということは思った。
でも色々と興味深い。読みかけ。