10.「ぼールルームへようこそ」第9巻を読みました。(06/24 10:35)


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ただその過程を見るのはとても面白いので、連載誌で追っかけてこそそれを楽しめるということがあるから、まあ本当に好きな作品には限られるが、比較していくのは楽しみだ。

9月号(2015)も41話とだけあって副題なし。「花瓶とビヤ樽」の表現はここで出てくるが、この章全体の表現としてまさにふさわしい。釘宮組を花瓶に、峰組(明たち)をビヤ樽にたとえているが、確かに千夏にそう言われるとビヤ樽にしか見えなくなってしまうから恐ろしい。(笑)回想場面でのマリサ先生のスウェイについての説明がかなり書き換えられていて、教科書的な表現が会話的な表現になっている。そしてその説明について回想する中で、多々良は千夏が、「おそらくこの子が会場で一番”美しい”」ということに気がつく場面が私は好きだ。

37話のラストの部分、明の思いが連載誌では言葉にされていたけれども、単行本では言葉がずっと少なくなっていて、ここは余韻がぐっと増したように思う。多々良と千夏のカップルの踊りを外側でみている小さな明の絵。決まった、という感じ。

12月号(2015)でも42話とだけあって副題なし。単行本では38話「千夏と明」になっている。「ビキニ跡」がモザイクになってたのが描写されてるが、これはなぜか。24ページ目までが連載中断前。話が明と千夏の過去の途中で途切れてしまっていたので、一体どうなることかと思っていた。

連載再開した今年の2月号は巻頭カラーで、扉は明と千夏のドレスアップしたカラー絵。単行本では38話の扉になってるが白黒なので、2月号は取っておいたほうがいいかな。2月号では連載中断前の最後の2ページがセリフは単行本と同じように変えらえて掲載され、甲本さん(明の父で多々良のバイト先の店主)のセリフに入っていっている。

連載時の副題は38話HomeComing。単行本では37話「千夏と明」が「お母さん友達できたよ」というセリフで終わっていて、そこから先の部分が39話HomeComingになっている。そして連載では釘宮のところに双子が現れた場面で終わっていて、なんだかよくわからなかった。

連載39話は「ゼロ和ゲーム」で扉が釘宮と双子。この絵はいい絵だと思うが、単行本ではラストのスペシャルサンクスのページに使われていた。このラストでは章分けが単行本と一致。清春による多々良の「肩甲骨はがし」が準決勝での異変に繋がる。単行本ではここまでがHomeComingで、千夏と明が悪口の言い合いのHomeに戻ったという感じなのだろう。

連載40話は単行本でも40話になり、ここで「ゼロ和ゲーム」が表題に。この言葉自体はその前に釘宮が言っているのだが。

連載41話と42話を合わせて単行本では41話「着地点」になっている。ここで富士田・緋山組の展望がようやく見える、「男役を通ってきたパートナー」の強さ。その1番の例が仙石のパートナーの本郷千鶴で、千夏は千鶴を見て憧れてダンスに本気になった経緯を持っている。連載42話の扉も好きなのだが、単行本では使われていないようだ。

今両方を見比べながら読んでみて、やはり単行本の方が圧倒的にわかりやすくなっている。極端な話、話の繋がらないところでその号が終わったりしているのは、描けたところまで掲載するという昔のマンガ家がやってたことの再現なのかもしれない。まあ読む方も連載1話の完結性を重んじるより話全体の流れを追うつもりで見た方が楽しめるということだろう。

それにしても多々良と千夏の凸凹コンビが、着地点において大化けするという展開はとてもよく、来月号以降がとても楽しみになった。



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