8.大沢絢子「修養の日本近代」を読んでいる:日本人は何を目指してきたか(01/29 07:16)


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大澤綾子「修養の日本近代」(NHK出版、2022)読んでるのだが、思ったよりずっと面白い。裏の日本近代思想史というか、「成功」とか「自己鍛錬」みたいなものを目指す人々の幕末維新から現代までの話を学術的な思想史の観点から研究したものというのはありそうでなかったのではないかと思う。エリートの思想史みたいなものももちろん意味がないことはないけれども、本当に歴史の動きをダイナミックに伝えているのはむしろこうした精神的にも社会的にも経済的にも「上を目指す人々」「向上心のある人々」の需要があった「大衆の上の方」の人々の思想史なのではないかと思った。

まだ第1章を読み終えたところなのだが、いまのところ興味を持った人物は中村正直と村上俊蔵の二人。中村正直は一般に「西国立志編」(原題Self-Help、自助論)の訳者として知られているが、これは明治初期に福澤諭吉の「学問のすゝめ」と並んで100万部を超える大ベストセラーになったのだが、現在福澤に比べればほとんど忘れられた存在になっている。Twitterで指摘を受けたのだが、福澤は慶應義塾大学の創立者として学燈を残しているが中村は明治初期に慶應義塾・攻玉社と並ぶ三大義塾と称された「同人社」を設立したものの中村の死後廃校になり、杉浦重剛の東京英語学校(現在の日本学園中・高)に合併されているというのも大きいのだろう。

中村正直は江戸幕府の昌平黌で佐藤一斎に儒学を学び、抜群の成績で「御儒者」の地位を得たが幕府の留学生監督として渡欧中に幕府が瓦解して帰国し、明治3年にイギリスの産業資本主義全盛時代の「自助の精神」に感銘を受け、「西国立志編」を訳したのだという。彼はイギリス人の自助の精神の背後にはキリスト教倫理があると考え、キリスト教に改宗しているが、儒者であるとも考えていて、この辺りは日本人的とも言えるしその辺りが明治精神とも言えるのかなと思ったりもする。「西国立志編」に影響を受けて学問や立身出世を志した人々はとても多かったという。

村上俊蔵もその一人で、彼は「成功」という雑誌を創刊し、立身出世のためには「自己修養」が必要だと説いて多くの読者を得た。夏目漱石の「門」の主人公が歯科医院の待合室で手にとって否定的な見解を持ったのがこの「成功」なのだが、漱石のようなエリートにとっては向上心のある大衆を読者にした、こうした貪欲な姿勢の雑誌は嫌悪を催させるものだったというのはなるほどと思う。これは現代のエリートが「自己啓発」や「スピリチュアル」を鼻で笑うのと同じような感想だろうと思う。「こゝろ」に「精神的に向上心がないものは、馬鹿だ」という言葉が出てくるが、「成功」などという雑誌は向上心の権化のようなものだけど、漱石にとってはそういうものは「本当の向上心」とは思えなかったのだろうなと思うし、その辺のところは「萌え絵の表現の自由」などは「本当の表現の自由ではない」という現代リベラルの精神にもつながるような感じがする。

彼の雑誌も多くの読者を得たが、「修養」を説く彼の姿勢は徐々にもっと実用的なものを求める読者層の要求から離れてしまい、また彼が得た利益の多くを南極探検事業(白瀬矗らによる)に注ぎ込んだこともあり、雑誌が廃刊になったのちは寂しい晩年を過ごした、というのもこうした人物の一つの方向なんだろうなあと思う。松下幸之助も最後まで事業を成功させたから晩年にはPHP研究所や松下政経塾を立ち上げるなどの修養・文化事業を継続させることに成功したが、一つ間違えば村上のようなことにならなかったとは言えないだろうなと思う。

この辺りのことも、「自助論」も確か持っていたはずなのだが、「成功」という雑誌については知らず、明治という時代のイメージに自分の中でかなりのリアリティが加わった感じがする。

私は正直、哲学的な思考というものにあまり興味を持てないというか、魅力を感じないのだが、修養とかはわかりやすいということもあり、よく考えるしその手の本は結構読んでいる。現代のいわゆる自己啓発的なものになるとあまり好かないというか面白くないと感じるものの方が多いが、「気持ちを落ち着かせるライフハック」的なものの方がジェンダーがうんたらかんたらみたいな話よりはずっと面白いし興味が持てるし共感もする。

そういう意味でこの「修養」というテーマは現代にも、自分自身にもつながる面白いテーマだと思うし、保守の本質ともかなり関わりがあるように思うので、この辺りからいろいろ展開できるといいなと思っている。


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