4599.人の心、未開の原生林の『闇の奥』/「知の時代」(06/07 09:12)


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ストーリーは作者が仮託されていると思われるマーロウがコンゴ川奥地と思われる場所に象牙商人であり高邁な理想家であるクルツに会いに行く、という話なのだが、コンゴ川流域といえば今でもなんだかこの世で起こっているとは思えないようなニュースが時々入ってくる地域で、同じような熱帯雨林の奥地でもアマゾン流域などとは相当感触が違う。スーダンのダルフールでもそうだが、やはりアフリカは日本人にとってもまだまだわからないことだらけの「闇の奥」である部分が多いなと思う。そこを分ったふりをして政治的正しさとかの主張をすると、結構大変な破滅を招く場所である気がする。

(女性割礼の禁止運動とか結構盛んだが、どうもなんか私などには違和感がある。わけのわからないことが多すぎる中で、一つだけの風習にこだわるのはまあたとえば食人習慣の根絶とかそういうことの延長線上にある運動なんだろうけど、そういう近代主義の押し付けが何かとんでもないことを招くのではないかという怖れが私などには感じられてならないのだ。)

まあそういうアフリカ奥地で実質的主人公であるクルツのやっていることは、アフリカの「闇」を征服しようとして憑かれたように象牙を狩り続け、「闇を苦しめ」、そして自分自身がその闇によってどんどん支配されていく、というように見える。その姿は、「世界」を征服しようとした帝国イギリス(あるいはフランス)そのものではないか、という気がする。この場合の「闇」は、コンラッドは文字通りの非啓蒙の闇ととらえているが、「異文化・異文明」とやや相対主義的にとらえた方が一般性があるような気がする。少なくとも近代社会の常識とは違うという意味でもあるが、「闇」を抱え込んだということばが啓蒙絶対主義的に使われると現代における植民地出身者を多く抱え込んでいる先進諸国の現況を見る上ではそれこそ政治的正しさの面から問題がありすぎる。近代絶対主義的な視点を外せば、コンラッドの「闇」はもっと素直にとらえられると思う。

いやいや政治的正しさにこだわっているといろいろ大変だが、まあ日本もまた、「闇(異文明)=中国」を征服しようとして水から巨大な闇を背負い込んでいったのではないか。抱え込んだ方の闇というものは異文明そのものではなく、ある種の実存的な危機だといった方がよいのかもしれないが。帝国主義諸国は闇を征服することによって闇に征服されたのだ、という気がする。

まあそういう視点から言うと、私などは「自分の領分」を守ることの大切さを感じる、という非常に穏健な意見に到達するわけだが、まあヨーロッパ諸国間の政治ほど成熟していない国際関係ではなかなかそうも行かないことももちろん理解できる。同様にアメリカの闇はベトナム・イラクであり、ロシアの闇はアフガニスタンだということになる。

しかし、そういう政治的なことだけが問題なのではなく、この小説では「完全知」という空恐ろしいものが問題になっている。クルツは完全知に魅せられ、おそらくはそれに駆り立てられて「闇」を知ろうとし、「闇」に飲み込まれて行った、のだと思う。これは、ある本質を究めようという人たちのみに開かれる恐ろしい扉であるようで、もちろん私などにその恐ろしさの本質がわかるわけはないのだが、そこに行き着こうとした人たちの感じた恐ろしい苦悩・絶望というものはいろいろな形で出会っていると思う。私などはそういうものを感じるとこれ以上進むのは危険だ、と本能的に考えてしまう良く言えば穏健さを持っているのだけど、それから逃げないで対峙している人たちもいる。私が思い出したのは「肥田式強健術」(だったかな)の肥田惟光(名前は不正確)とか、野口整体の野口晴哉、あるいは現存の人ではその子息の野口裕之、武術家の甲野善紀、と言った人たちなのだが、人間存在(今上げた人たちにおいては身体という意味になるが)の中のどうしようもない「闇」を知っていて、しかしその中で本質を究めようとしている人たちである。

ラストシーン、というかクルツが「俺はこの真っ暗闇の中でじっと死を待っているのだ」とか今わの際に「地獄だ!地獄だ!」と叫ぶ場面は、マーラーの9番の第4楽章のラストを思い出した。破滅と救済はよく似ている。祈りと絶望も。クルツというのは逆説的なシュヴァイツァーのような気がするし、シュヴァイツァーという人物も、相当巨大な闇を抱え込んだ人間なのではないかと昔から思っていたが、『闇の奥』を読むとシュヴァイツァーのこともより理解できる気がする。(そういえばシュヴァイツァーはコンラッドを読んでいたのではなかったかな。記憶が定かではないが。)

読み終えるとダンテの『神曲』の「地獄篇」を読むのに似た、不思議な安らぎが訪れた。隣の席では女の子がしきりに笑いかけているのだが、こんなものを読み終えた後で笑顔を作ったせいか、女の子が固まってしまった。可哀相なことをした。

私にとっては面白かったが、誰にとっても面白いとは限らない本だと思う。しかしすごい作品であることだけは断言する。


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