『国家の罠』の内容は非常に興味深いし、そこで描かれている人物も全部実名なので作者から見た評価も一目瞭然である。作者自身が当事者だからそこで描かれた人も悪く書かれていても名誉毀損などの裁判を起こすこともしにくいだろう。というか、悪く書かれていてもおそらくはほとんどが事実なので反論が難しいのではないかという気がする。この内容が事実かどうか判断しにくい、というのはメディアリテラシーの立場から言えば無難な判断だが、彼の現在のおかれた立場とこの本を書いている姿勢から考えて、嘘はほとんどなかろうと思う。いずれ時代が下れば明らかにされていくところは多いし、彼の姿勢から考えてそのときにいろいろな嘘がばれ、外交史料としても歴史史料としても無価値だと評価されることには耐えられないと思う。人は皆うそばかりつくわけではないし、自己顕示欲も嘘を書くことによって出なく事実を書くことによって満たされることもまたありえるのだという視点が必要だと思う。
レビューの中に、「彼に同情したいとは思わない」というコメントがあったが、彼の執筆動機が同情を買うことにはないということはほぼはっきりしているように思われる。彼は「同情」を求めているのではなく、外交官としての、情報関係者としての「評価」を求めているのであり、それは相当な部分まで達成されていると思う。まだ裁判は結審していないし彼が情報や外交の現場に戻るまでには相当な期間を必要とすると思うが、マスコミを通じての啓蒙などに当たることはできようし、そのあたりのところは非常に期待したいと思う。
全ての人間が「理解」や「同情」を求めていると思うのも、ひとつの思い込みだろう。ある種の職人は理解される必要も同情される必要も、時には評価される必要も認めない。ただ、そうしたことが自分がそのために賭けて来たこと、佐藤氏にとっては国益というもの、のために必要であり、またそのために自分が生き延びなければならないと判断した場合には、別なのだ、ということではないかと思ったのだった。
ちなみに、日記才人のメッセンジャーが調子が余りよくないようなので、メッセージはメール等で(Kous37@mail.goo.ne.jp)送っていただければと思います。