だから、高めるべきは、ナショナリズムというよりはパトリオティズムというべき物なのだと思う。そういう理論があるかどうかは知らないが民族としてのプライドがナショナリズムに結びつき、(大中華主義やナチズムなどは確かにそうだ)、民族としての、あるいは国民としてのアイデンティティがパトリオティズムに結びつく、と考えておけば、一つのアポリアがクリアできるような気がする。
だから今考えるべきはそうしたパトリオティズムの成熟であり、国家の義務、国民としての義務ということを考えなければならない。拉致問題などはまさにその典型であると思う。
アイデンティティがしっかりしていさえすれば、外交の重心をアメリカに置こうが中韓に置こうがロシアに置こうがそれはそうたいしたことではない。