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「どこがホームか」というのは私自身にとっての問題でもあるなと思う。そういう意味では、日本人あるいは世界の人全てにとってポストコロニアル状況は存在するということかもしれない。まあそういってしまえば、ポストコロニアル状況もポスト冷戦・ポスト社会主義・ポストソビエト帝国主義状況も本質的に同じ問題を持つことになるし、アジアではポスト中華帝国主義の時代はまだ訪れていないわけだから、それをじっと息を詰めて待つしかないというところもある。いずれにしても、コロニアリズムの悪を糾弾することを政治的資源として獲得するための理論武装として利用するするだけではこの問題の本質は明らかになりはしない。そんな単純なものではない。だからポスコロなどと幾分馬鹿にした言い方をされるのである。
ポストコロニアルの議論が実り豊かなものになるためには、「コロニアリズムの善悪」を一度括弧に入れて議論を広げなければ人類史的な意味は持ちえないと思う。その俯瞰を持った上で善悪を論じたければ論じればよいのだと思う。
と、ここでいったん話を終わる。続きは下に。
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