4584.アンジェラ・アキ/どこが「ホーム」か/個人の「ホーム」とポストコロニアル(06/13 09:07)


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昨日はワールドカップ日本・オーストラリア戦をずっと見ていた。ジーコの言う通り、日本はリードしているときにきっちりとした戦い方がもう一つ出来なかったというのが大きいのだと思う。もしあそこでもう一点取っていたら結果は逆になっていたはずだ。残念でならない。

なんだかあんまり残念で、今朝起きてからも残念が残っているくらいだから昨夜は本当に残念だったのだと思う。3時くらいまで寝付けなくて、いろいろネットを見たり本を読んだり漫画を読んだりしていた。

アマゾンのページを見るたびに、最近ずっとアンジェラ・アキという人のCDが画面に出ていて、ちょっと気になってサイトを見たりブログを読んだり、また動画を見たりしていたらどうも気に入ってしまい、なんだか残念という勢いもあってDVDつきのCD(アルバム)を購入してしまった。よく見たら14日発売のデビューアルバムだ。

父は日本人、母はイタリア系アメリカ人、徳島で生まれ、岡山で中学校を出、ハワイで高校、ワシントンで大学を出て、東京で音楽活動をしている。77年生まれだから今年29歳。長い髪、眼鏡がトレードマークのようで、ピアノを弾きながらからだを大きく前に倒したり後ろに反ったりしながら歌う。そのときの足の開き具合がなんとなく身体的に引かれるものを感じるのだがよくわからない。

歌はアニメ・ゲームの主題歌のようなものもあるようだが、声がよくてよく出ていて、メロディーもなんとなく引かれるものがある。ジャニス・イアンのコメントがついていたりする。

アルバムタイトルは"Home"というもので、彼女の来歴の中で、どこが「ホーム」なのか、ということがテーマなようだ。(まだちゃんと聞いてないから分からないけど)彼女の答えは、自分がいたところそれぞれが「ホーム」だ、ということのようだが(まだちゃんと聞いてないから分からないけど)それはひとつの答えではあると思う。アイデンティティを固定しないでそのときを生きるというのは、その刹那の一つの生き方ではあるが、人間は果たしてそれでやっていけるのか、というのはまた別の問題かもしれない。

<画像>Home (初回限定盤)(DVD付)
アンジェラ・アキ, 松岡モトキ
ERJ

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考えてみれば、「ポストコロニアル」というのも、個人にとっては要するに「どこがホームか」という問題である。これは西欧文明に席巻された現在において、やはりもともとその文明の所有者である「彼ら」とそれを取り入れた「我々」とは少し問題の立て方が微妙にずれる。しかし我々も程度の差こそあれ西欧文明に同化しているところがあるわけで、その同化度合いと意識の同化度合いとが微妙な濃淡となって我々の内部の「西欧文明問題」になる。しかしそれは、shaktiさんの言うように、植民地の白人にとってもかなり重要な問題で、どこがホームかというのはそんなに単純な問題ではない。

たとえば諸星大二郎が縄文や神話、あるいは中国の説話を扱うのは西欧が来る前の自分たちのホームがどこだったのか、というのを探る意味合いがあるように思われるし、ある意味それは柳田國男でも同じことだろう。しかし植民地の強烈な自然の中で人生が規定されるような影響を受けた白人が、植民地のその場所こそがホームだと感じ、主張することが間違っているとはいえないと思う。

「どこがホームか」という問いの答えは、「自分が自分になったところ」であるべきだと思う。であるならば、コンラッドにとってのホームはやはりコンゴ川上流の奥地であろう。ポーランド出身の船乗りが、英語で書くイギリスの作家になったのは、そこでの体験が死活的な重要性を持つからである。


<画像>闇の奥

岩波書店

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