4580.ナイポール『ある放浪者の半生』/バシュラールの認識の詩学(06/16 10:57)


< ページ移動: 1 2 >

昨日は大雨。その中をまた図書館に行く。ネットで検索したらナイポールは「有り」になっているのでどうなっているのだろうとは思ったのだが。ただもしナイポールが借りられなかったらオンダーチェかクッツェーを借りればいいと思い、調べてはおいた。雨の中、隣の市民会館から高校生がぞろぞろと出てくる。芸術鑑賞教室か何かだったのかもしれない。それをよけつつ図書館に入り、探してみるとナイポール『ある放浪者の半生』(岩波書店、2002)があった。訳者は『英語達人列伝』(中公新書)で読んだことがあった斎藤兆史だ。ちょっと期待できそう。カウンターに持っていくと昨日探してくれた人がいて、「これ昨日あれから探したんですよ。」というから「ほかのところにあったんですか」と聞くと「そうなんです。あってよかった」と言った。仕事とは言え、おかげで借りられることが出来てよかった。ついでにオンダーチェ『イギリス人の患者』(新潮社、1996)も借りたが、帰ってきてから調べると文庫が出ていて、それならクッツェーの方を借りても良かったなと思った。

<画像>ある放浪者の半生

岩波書店

このアイテムの詳細を見る
<画像>イギリス人の患者

新潮社

このアイテムの詳細を見る


ナイポールを読み始める。最初はインドの話で何がなんだかわからず、ちょっとつかみにくくて、何が面白いのかもわからなかったが、「第1章」と言う名の第2章に入ると急に面白くなった。ユーモアがあるし、それも批評的だ。第1章の「サマセット・モームの訪問」はそれの巨大な伏線と言うか、世界に放り出された主人公ウィリーの父親がガンジーに倣った「犠牲的精神」を発揮しようとするけれども伝統的な生き方から脱することが出来ないという状態(p.40「いつもその場の勢いで行動しながら先祖伝来の流儀に落ち着いた」)とみごとにコントラストをつけている。イヤこの話、説明しようとすればするほど詰まらなくなる。

ちょっと読みながら書いたメモを見ながら。最初の現実離れした感じが、村上春樹『スプートニクの恋人』をちょっと思い出させた。読むものにとって非日常的というか不条理な雰囲気が共通していると言うことだろうか。しかし読むものにとっては不条理であってもそういう世界がこの世のどこかには存在していると言うある種のリアリティが感じられるといってもいいかもしれない。……かなり不正確な表現だ、われながら。

<画像>スプートニクの恋人

講談社

このアイテムの詳細を見る



< ページ移動: 1 2 >

4580/5071

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21