3368.『日出処の天子』:人はみな孤独(07/03 11:39)


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昨日。仕事中に鉛筆を弄んでいたら右手の掌に突き刺してしまった。ちょうど生命線のど真ん中あたり。痛かった。というか今でも痛い。参った参った。

近くの高校の文化祭の、今リハーサルをやっているらしく、バンドの音が聞こえる。参ったなこりゃ。

<画像>日出処の天子 (第2巻) (白泉社文庫)
山岸 凉子
白泉社

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『日出処の天子』。7巻の厩戸王子と毛人の訣別の場面を何度も読み返す。厩戸王子は超人的な能力を持つが、それを補う力を毛人が持っている、ということを自覚していて、毛人にともに生きることを、つまりは自分を愛することを要求する。しかし毛人はそれを拒絶し、完全な力を持ってはならない、だから自分たちは一つになってはいけない、という。それは王子でなく布都姫を取る、という宣言なのだが、布都姫にしたところでこれは確かに王子が言うように「男である私から逃れるために探し出してきた手段に過ぎない」というのは読者の誰にも納得されるところだろう。(だからといって布都姫を愛してないわけではない、というのが毛人の造形で、そのあたり矛盾があるといえばある)そう主張する王子は実際には心と裏腹の弱気で、このあたりの描写はもう全面的に王子の側に思い入れてしまう。実際、こうした場面では相手の本当の心はわからないまま、自分が希望を持ったり弱気になったり絶望したりと激しく揺れ動くものだから、強い言葉で言いながら、「口に出してしまう言葉の何という空しさだ」と思ってしまう。この王子の、毛人に対するときについ心にもないことを言葉にしてしまったり、思っていることを口にすることでさらに傷ついたりしてしまう心の動きの描写が、刺すようにリアルだ。

王子の言う力は人間という器が持ってはならない力だ、という毛人に対し、「人間になぜそのような限界を強いるのだ。我々人間にはまだまだ計り知れぬ能力があるはずだ!それが神の領域であるはずがない」と王子は言う。しかし毛人は「何か一足飛びに飛び越えた大きすぎる力なのではありませんか。私にはその力を駆使したいなどという気持ちは微塵もありませんよ」という。

このあたりのところになると、この毛人の言うことの方が私には理解できなくなってくる。誰にも追随を許さない力があると分っていて、それを使いたくない、となるとそれはよくわからない。しかし、それは毛人が望んで駆使するものではなく、厩戸王子の意思の追従者になってしまうと毛人が考えているということだろうか。王子は、自ら大王になることを望んではいないが、毛人がそういうならなってもいい、というくらいには毛人にめろめろなのだが、そのあまりに純粋な想念のような愛を受け入れることを毛人はなぜか全力で拒否している。いやこのあたり、何と言うか、成り行きというか行きがかりというか、もうこうなってしまったら最後まで言わなければならないという感じで、どちらにとっても本当にいいのかどうか分らない結論に自分が主導して持っていってしまうことがよくあった私などにとっては心理としてはよく分るのだが、本当にそれでいいのかとも思う。

毛人は人間としての成長のため、自分たち二人では前に進むことができないという。懐かしいフレーズだ。今の若者もそんなことを言うのかな。でも何というか、毛人は二人の関係に共依存とでも言うべきものを感じていたのかもしれないと思う。王子といると自分が自分ではなくなってしまうし、王子もまた自分の初志を貫徹できなくなると。しかし毛人が無意識の世界にあるときは二人は限りなく完全に一体化することを王子は気づいていたし毛人も自覚させられた。しかし、意識としての毛人はそれを拒絶する。無意識に対し意志が勝利する。


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