3364.自分の性格について/伝統について/など(07/07 09:48)


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伝統というものを大事に考えるのは、自分がそういう枠組についこだわってしまう志向を持っていることともちろん無縁ではないと思う。枠組みというものには、何かしら人間の、特に先人の知恵があると感じるからだろう。その知恵をいつも感じながらその枠組を使うのならば、その知恵と関係がなくなったところでは、自分の判断を入れていいということにもなる。知恵というものは大事だな。

問題は、その知恵というものをどこまでちゃんと理解できるかということだ。常識というのは本来、知恵なんだな。今唐突にその認識に達したが、それは大事なことだ。知恵を感じる力というのも美しさを感じる力と同様、しかしそれよりはおそらく客観的な同意を得られそうなものだけど、しかし根本的には自分が「そうするほうがよい」とか「よくない」ということを感じる力が大事であることに違いはない。その知恵とは結局、自分を大事にし、相手を大事にし、共同体を大事にし、もっと大きな人とのつながりを大事にすること、が基本だろう。ケンカにもケンカのルールがある、ということで、たとえば警察のけんかの仕方(制圧が基本)と軍隊のけんかの仕方(相手の戦闘能力の無力化が基本)といったルールがある。それは逆説的ではあるが、それが相手を大事にする仕方でもある。

それが倫理というものなのだろう。倫理というものはだから、常に変化する世の中の中で、何が「そうするほうがよい」ことなのか、常に流動的である中で、一つ一つについて判断していかなければならない、実は自由度の高いことなのだ。それが善、ということになるのだと思う。

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「美」、「善」と来たので「真」についても考えて見たい。真というのは科学的な心理というものもあるだろうが、人間にとってはたとえば「人は必ず死ぬ」ということだろう。その究極の真実に向かって人は生きるわけで、それをどう考えるかということが「真」の基本になる。

そういう意味で言えば、人間の生きる上での真理というのは、絶対的なものではない。宗教や哲学によって考え方は違ってくる。それを越えた絶対的な真理というのは、おそらく人間の手の届くところにあるものではないような気がする。

しかし、まあそういう意味で言えば、人間の真も善も美も、それを見つける力、それを判断する自分の力によって見つけ出し、日々変化する世界の中で一瞬一瞬に実現していくしかないものなのだろう。そういう見方は多分大事なことなんだろうと思う。


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