3360.読売新聞の村上春樹インタビュー:『1Q84』をめぐって(06/17 10:33)


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最初に全体の構成を「バッハの平均律クラビーア曲集のフォーマットに則って、長調と短調、青豆と天吾の物語を交互に書こう」と決めたのだという。それから二人の名前が浮かび、これで小説は出来たと確信した、という。二年間、完成への確信は一度も揺るがなかった、そうだ。十歳で出会って離れ離れになった30歳の男女が、互いを探し求める話にしよう、そんな単純な話を出来るだけ長く複雑にしてやろう、と思ったのだそうだ。そういう意味で確かに構成がきちんとしていてすごく読みやすい感じはした。

作家を続けていくうちに自分より年齢が低い少年や女の子のことを書けるようになってきて、今回の作品では女性の感じ方や考え方をよりつっこんで書いてみたのだという。何度も書き直して造形を調整し、描写の言葉一つ、一行の文章の差し替えで人物が立ち上がったりもする、という。このあたり、小説を書くことを本当に楽しんでいるなと思う。

暴力と性は、「人の魂の奥底に迫るための大事な扉」だという。確かに、人間性というものを追求しようという作品には、村上のものに限らずそういう要素は出てくるし、出ざるを得ない面があるのだろうなと思う。人間を社会の中のものとしてでなく、個人と見ようとするとき、究極の他人とのかかわり方である性と暴力を避けては、その描出が不完全になるということは理解できる。

続編に関しては、相変わらず気を持たせるのが上手い。まあこの調子では、続きがあるのではないかという気がするな。AERAか何かの記事には、編集者か誰かの「ここで終わりだと確信した」というコメントが載せられていたが。

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<画像>大不況には本を読む (中公新書ラクレ)
橋本 治
中央公論新社

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橋本治『大不況には本を読む』現在122ページ。村上春樹論とだいぶのりが違い頭が切り替えられないので雑感風に書くが、橋本は村上より個人というより社会よりの作家ではないかという気がする。橋本はマイノリティーをかわいらしく健気に書くのが上手く、また普通の男の子や女の子を超ウザく書くのが上手い。ある魂への共感性とか、あるあり方への反発みたいなものを感覚的に取り出すのが上手い。センス、という点では多分、橋本の方がずっといいと思うし、どちらがおしゃれかといえば橋本の方がずっとお洒落だろう。それはおそらく、世間的なイメージとはかなり乖離しているが。

橋本は物語も書くがそれは感覚的に魂の美しさみたいなものを書くのが上手く、世間に伝えるメッセージという点ではエッセイを書くことが多いように思う。このあたりは村上の行き方と全然違う。橋本の面白さはなかなか理解されず、村上には固定ファンがついてしかも野次馬までどんどんよってくるというのはどこに違いがあるのか。橋本が基本的にコメディタッチで書き、村上はトラジディックに書く、という違いだろうか。日本人受けするのはトラジディであることは間違いないが。

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昨日はところどころかなりの雷雨があったようだが、今日は長野県はよく晴れている。


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